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2009年7月

2009年7月31日 (金)

時には習慣にも刺激を

努力というものを、続けることそのもの

維持することそのものだけに傾けるよりも、

継続や維持すること自体は「習慣」に任せてしまい、

努力のほうは「習慣化するための工夫」に向ける。

そうすることで、他人の目からは

ストイックにも映るような取り組みが

実のところそれほど努力することもなしに

ラクに続けていくことができる、

そのようなことが起こってくる。

今日は、そこからさらに一歩踏み込んで、

習慣化された先のことについて書いてみたい。

先述したとおり、習慣というものは

継続することにより積み重ねていきたい

取り組みがある場合には、

それを達成するための心強い味方となってくれる。

実際、私たちの日々の行動のほとんどは

習慣化されたことで占められている。

それは行動に限らず、

思考についても同じことが言える。

しかし、このことが却って、

「工夫」というものを遠ざける原因にもなる。

習慣というものは、

どんなに大変な取り組みであっても、

特に努力することなしに、半自動的に、

そのことを継続していけるという特性がある。

その、半ば自動的に、というところが

「工夫」を遠ざける要因になっているのである。

つまり、習慣化によって

半自動的に取り組めるようになったことは、逆に、

そのことに工夫をする、改善をする、変化をつける

ということと縁遠いことになってくる。

だから、時々、

習慣によって半自動的に

取り組んでいることを振り返って、

「このまま続けるのがよいのか」

ということを問うてみたい。

そして、できることなら時々、

意識的に変化をつけるということを

してみたい。

変化をつけることによって、

取り組みの結果が大きく変わってくると

問題かもしれないが、

大して結果に影響を与えないことであれば、

どんどん変化をつけていってもいい。

たとえば、

通勤ルートを少し変更してみるとか、

いつものランニングコースを

カスタマイズして少し変化をつけてみるとか。

その程度のことでも、

変化をつけることによって

刺激されるものだ。

そして、それを契機に、

「今までずっと、何も考えずにやってきたけど、

ちょっとこう変えたほうがいいかも・・・」

などといった、ちょっとしたアイデアが

出てくることもあるだろう。

習慣と化したことについても、

半自動的に同じやり方で続けるだけでなく、

時々変化をつけて、刺激を与える。

そして、それをすること自体も

習慣にする。

そうすることで、習慣化されたその行動が

少しずつでもレベルアップし、

習慣化された行動でありながら、

新鮮さも失わない、

そんな状態を保てるのではないだろうか。

     ***

関連記事:

続ける努力より、習慣にする工夫 (2009/7/30)

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2009年7月30日 (木)

続ける努力より、習慣にする工夫

ものごとを継続的に取り組んでいくためには、

不断の努力を続けていくことが大切だ。

このように考えがちではないだろうか?

しかし、ものごとの継続を、

努力や意志力で成し遂げるというのは

並大抵ではない。

やる気がそうそう続かないということもあるし、

潜在意識による現状を維持させる

メカニズムが働き、

以前の自分に引き戻されるということもある。

そもそも、

ものごとを継続するために必要なエネルギーは、

軌道に乗ってからよりも、最初のやり始めの方が

はるかに大きいのだ。

だから、継続の軌道に乗るよりも前に、

努力の甲斐もなく挫折するということが起こる。

ローラーのような重い岩を、

押して転がそうとするようなもので、

止まっている状態から転がり始める状態を

作り出すのに最もエネルギーが必要なのだ。

これを、何の工夫もせず、

努力や意志の力で乗り切ろうとすると、

均等なペース配分でこなしていこうという

発想に陥るかもしれない。

しかし、初動に必要なエネルギーは、

継続状態を維持するのに必要なエネルギーと

比較にならない。

つまり、最初のうちは

必要なエネルギーが大きい分、

ペースを落とすべきなのだ。

これが、習慣化のための工夫だ。

はじめから一貫して均等なペースで

ノルマを設定して取り組むよりも、

最初のうちはラクなペースでいいから、

その分ていねいにやるように

心がけるといいのだ。

少しでも、1日5分でも

その取り組みをすればOKという具合に、

ノルマのクリアでなく、

ちょっとずつでも毎日続けることに重点を置く。

そうすることで、

初動期間を比較的ラクに

クリアしていくことができる。

初動期間が過ぎれば今度は逆に、

止めることが難しくなってくるだろう。

さきほどのローラーの例でいうと、

初動にエネルギーを費やし、

重い岩が転がり始める。

勢いに乗って転がり始めると、

そのペースを維持するために

初動ほどのエネルギーを費やす必要は

なくなってくる。

むしろ、転がり続けている岩を、

停止させる方が大変になってくるだろう。

同じことだ。

一旦、習慣になってしまうと、

継続すること自体に費やすエネルギーは

ほとんど必要なくなる。

はたから見て、とても大変そうで

ストイックに見えるようなことでも、

本人にとってはほとんどエネルギーを注ぎ込むことなく、

努力を努力と感じることもなく、

事も無げに取り組むことができるのだ。

大変そうなことを、

大してがんばってる感も見せず、

ラクにこなしているように見える人というのは

そんな状態になっているのだ。

継続することに多くのエネルギーを必要とする

初動の時期を早く乗り越えられるよう、

習慣化するための工夫をしていこう。

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2009年7月29日 (水)

努力の落とし穴

何かひとつのものごとについて、

それを成し遂げるために努力をする。

その努力というのは尊いもの。

何かに向かってひたすら努力を重ねることが、

心を高めることにつながっている。

しかし、努力しているということ

そのものに満足していないだろうか。

これだけ努力しているから、

それでOK、と

なってしまっていないだろうか。

努力の落とし穴にはまっていないだろうか?

「努力の落とし穴」とは何か。

私がここで言いたいのは、

「工夫することを忘れていないか?」

ということである。

努力さえしていれば

それだけで良いわけではない、

ということだ。

努力しているのだからと、

そのものに満足を覚えてしまうことで、

工夫する視点が抜け落ちてしまう。

今よりもっと良くしようという、

改善の視点をなくしてしまう。

努力に「ムダ」などということはないのだろうが、

それ以上の工夫をすることなく、

努力そのものを「免罪符」のように

考えているとすれば、注意が必要だ。

同じだけの努力をするにしても、

より良い結果を出そうという工夫の視点は、

いつも忘れず持っていたいものだ。

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2009年7月28日 (火)

学ぶことの楽しみ

何かの本で読んで手に入れたのだろう。

随分前の、私自身の手による

面白いメモを見つけた。

そのまま引用してみる。

「実験で失敗することによって、

面白い課題を見つけることができます。

これが勉強です。

勝つというのは、そのアウトプットにすぎません。

勉強は、インプットの楽しみです。

銀行に貯金が増える楽しみと同じです。

勝つというのは、お金を使う楽しみです。

負けるのは、財産が増える楽しみです。」

文章のタッチからして、

中谷彰宏さんっぽい感じがするが、

どうだろうか。

何という本に書いてあったのかも、

全然記憶にはない。。

でも、考え方はとても興味深い。

勝つことはお金を使うこと、

負けることは財産を増やすこと、

という考え方が面白い。

要は、インプットを増やさずに

ビジネスで成果を出し続けることはできない、

成功のための方法論を手に入れても、

それだけでずっと成功しつづけることは

できない。

その成功論に頼っていると、

いずれ貯金を使い果たすことになる。

学ぶことを楽しみとして、

インプットを継続していくこと、

そんな大切さが、

この文章に見えた。

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コントロールできないものにこだわらない

私たちは、コントロールできるはずのないものを

何とか自分の思うようにしたいと考える。

人間関係がそうだ。

上司と部下であったり、

夫婦であったり、

親子であったり。

コントロールできるはずのないものだが、

何とかしようとしてしまい、

余計に事態を悪化させてしまう。

天気のことなら、誰でもすぐわかる。

週末はレジャーに出かけるから

晴れさせたい。

そんなことは誰も本気で考えない。

晴れればいいな、と願うくらいのものだ。

これが人間関係だと、

何とかなると思ってしまうのだろうか。

「どうすれば、部下はやる気を

出してくれるのか」

「どうすれば子どもが

期待通りに育ってくれるのか」

こんなことを、つい考えてしまうが、

人間だれしも、

変えることができるのは

自分のみである。

人間関係は、テクニックで操れるものではない。

それで一時的に上手くいったように見えても、

テクニックだけで豊かな関係は築けない。

コントロールできるはずのないものに

こだわるのではなく、

努力で変えられるところに力を注ごう。

人に何かを期待するのではなく、

自分で自分を、変えていけばいいのだ。

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2009年7月26日 (日)

目標を日々の行動に落とし込む

目標管理の面談などをしていると、

半期の目標設定がテーマになる。

そして、誰もがそれなりに考えて

目標を設定してくる。

立派な目標を立てる人もいる。

しかし、それに向かって、

具体的な行動をしているだろうか?

私にも言えることなのだが、

目標はいっちょう前に立てる。

しかし、それを達成するための具体的な

行動が工夫されているかというと、

必ずしもそうはなっていない。

これでは、いくら立派な目標を掲げても、

達成できる日は、やってこない。

半年経って、達成状況を確認してみると、

結局何の具体的な行動も起こせていない。

つぎの半年もまた、

同じ目標が設定されることになる。。

このようなことを繰り返さないためには、

目標を目標のまま置いておかないことだ。

この目標を達成するために、

今日からできる具体的な行動は何だろう?

こう考えて、

たとえ小さな、簡単な行動でもいいから

実際に起こしていく習慣をつけることだ。

行動なしに目標が達成されることはない。

いかに、具体的な行動に落とし込むか

ということが大切なのだ。

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2009年7月25日 (土)

自分には「できて当然」のことにも目を向ける

普段、自分では当たり前のようにやっていることが、

人から見ると案外すごく見えることがある。

自分の強みというものを考えるとき、

これは盲点になりやすいことではないだろうか。

自分の強みは、自分ではなかなか見えにくい。

淡々と物事を継続し、積み重ねていくことを

当然のようにやっている人がいる。

その人にとってそれは、大きな努力を必要と

するものでもなく、まさに淡々とこなしている。

しかし、はたから見ていると、

これがとてつもなく、すごいことに思える。

自分では当たり前と思っていることは、

なかなか自分ではそれを「強み」だと

考えることが難しい。

一度、自分の持っている力を

棚卸してみるつもりで、

洗い出してみるのも、

いいかもしれない。

普段は目を向けない、

当たり前のこととしてやっていることも、

「できること」として目を向けてみる。

そんなことから、

あなた自身の意外な一面が

見えてくるかもしれないのだ。

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2009年7月24日 (金)

「できるようになりたい」と思えばこそ

「できなかったこと」よりも、「できたこと」に

目を向けるということについて、

先日から数日にわたって、

いろんな観点から考えている。

今日、考えてみたいのは、

「できたこと」に目を向けるためには、

そのことを事前に意識しておくことが必要だ、

ということ。

「できなかったこと」というのは、

事前にあまり意識しなくても、

あとからいくらでも見つけられるもの。

それは、人の思考というものが基本的に、

放っておくとマイナスに傾きやすい

ということがあるからかもしれない。

事前に何も考えずにやった仕事があったとして、

その仕事をあとから振り返っても、

「あれがダメだった」

「あそこで、ああしていればよかった」

などと、問題点は見つけやすいのだ。

しかし、これが「できたこと」をテーマにした

反省になると、なかなかそうはいかない。

「う~ん、何か良かったことって、あるかな・・・」

「できたことって、何があるのかな?」

考えてみても、このようなことに

なりがちではないだろうか。

できたことに目を向けるためには

ことを起こす前に、

「今回はこれをできるようにしたい」

「前はできなかったけど、できるようになりたい」

などということを意識しておかないと、

なかなか目が向かないものだ。

「できるようになりたい」と思えばこそ、

「自分はこうありたい」という切実な思いを

持っていればこそ、

あとから振り返って、

できたことに目を向けやすく

なるのではないだろうか。

そんなふうに思うのである。

     ***

関連記事:

「プラスの感情」を呼び起こす (2009/7/23)

問題はレベルアップするから・・・ (2009/7/22)

できたことに目を向ける (2009/7/21)

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「プラスの感情」を呼び起こす

自らの仕事ぶりを反省するとき、

人は「できなかったこと」にフォーカスしがちである。

自分の中で反省しているときに、

「できたこと」「良かったこと」に目を向けることは

案外少ないのではないだろうか。

そのようなことを先日から書いているが、

「できなかったこと」にばかり目を向けるのは

潜在意識的な観点から見ても、

良くない影響があるので注意が必要だ。

「できなかったこと」に目を向けることが、

思考の習慣になっていると、

ものごとをマイナス面からとらえる心が

形成されていく。

その心からは、どうしてもマイナス感情が

出てきやすいもの。

なぜなら、感情というのは

人が普段から持っている心のあり方が

作り出しているものだからだ。

「できなかったこと」に目を向けることは、

「自己嫌悪」の感情につながる。

「自己嫌悪」というものは、

「今よりももっと良くなる自分」という存在を

信じていることの裏返しであるから、

決して悪い感情ではない。

しかし、自己否定的な心の形成を

強めていくことにもなりかねないので、

自己嫌悪ばかり感じていても良くない。

ときには、前向きな感情を引き出すことも

必要になってくる。

そこで、「できたこと」に目を向けるのだ。

できたことに目を向けるようになると、

プラスの感情が湧き起ってくるようになる。

プラスの感情は、元々持っているマイナスの心を

浄化していくのだ。

心が浄化されていくと、

その心が自然に作り出す感情も、

前向きなものになりやすい。

だから、プラスの思考によって

心を磨き続けることは、大切なことなのだ。

明日も、もう少し続けたいと思います。

     ***

関連記事:

問題はレベルアップするから・・・ (2009/7/22)

できたことに目を向ける (2009/7/21)

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2009年7月22日 (水)

問題はレベルアップするから・・・

仕事や日常生活において、

自分の仕事ぶりやものごとへの取り組み方、

あるいは考え方を振り返るとき、

人はどうしても、

「できなかったこと」に目を向けがちだ。

「できたこと」

よりも

「できなかったこと」

にフォーカスしてしまう。

「反省」とか「振り返り」という言葉自体に

「できなかったことを反省しよう」というような

ニュアンスを感じるのかもしれない。

しかし、できたことにも目を向けることは、

大切なことだ。

なぜなら、

自分自身が向き合うべき問題というのは、

レベルアップこそすれ

なくなりはしないからだ。

自分自身の意識や考え方、

行動のレベルにあわせて、

直面する問題もレベルアップする。

成長している限りは、だ。

ひとつの問題に取り組み、

それを努力と習慣づけによって

解決したとしても、

レベルアップすることによって、

もっと手ごわい新たな問題が出てくる。

成長することで、

そのレベルの問題に取り組む資格ができたと、

考えることもできるだろう。

話を戻すと、

つまりは、

できなかったことに目を向けている限り、

私たちは常にできなかったことばかりを

見続けることになるのだ。

このようなものの見方ばかりが習慣づくと、

それが私たちの心のあり方にも影響する。

できなかったことを真摯に受け止めて

改善していくことはもちろん大切だが、

その努力によって、

仕事の成果が出てくる、

生き方がより良くなっていく、

それを実感すること。

その喜びを味わうこと。

私たちは、そのための努力を

続けているのではなかったか。

レベルアップする問題に

追われるだけではなく、

「できたこと」

「できていなかったけど、できるようになったこと」

にも、もっと意識して目を向けてみよう。

     ***

関連記事:

できたことに目を向ける (2009/7/22)

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2009年7月21日 (火)

できたことに目を向ける

自分の手がけていた仕事が一段落したとき、

その仕事のでき具合を関係者やチームのメンバーと

振り返ったりする。

あるいは、今日一日の仕事ぶりを

自分なりに反省し、明日に生かすべき教訓を得る。

このような、反省する時間を持ったとき、

人はどうしてもダメだったところに

目が向きやすいのではないだろうか。

あるいは、仕事に対する意識を高く持っている人ほど、

かえってマイナス面が目につきやすいかもしれない。

悪かった点、上手くいかなかった点を洗い出し、

その原因を探り、改善方法を考えるという取組は

成長していくためには欠かせない、大切なことだ。

しかし、良かった点、上手くいった点、

前はできなかったけれど、

こんどはできるようになった点などに

目を向けることも、大切なことなのだ。

明日に続けます。

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わざわざ「不幸の引き寄せ」をしない

人は、愚痴を言うのが好きな生き物だと

よく言われる。

愚痴というものは、

他人を攻撃するために使われる。

つまり、ある意味、

自分を守るための方便だと

言えるだろうか。

このことは、

「自己責任」ということとは

対極に位置するのではないかと思う。

自分自身の責任を逃れるために、

他人を攻撃する。

そんな心のあり方が、

愚痴を言うことから、窺える。

しかし、それは

不幸を呼び寄せていることに

ほかならない。

それを言うことで、

自分の気持ちは多少なりとも

すっきりするのかもしれないが、

それをすることで、

自分の心に幸せな気分が巡ってくることは、

ないのだ。

それどころか、

自分自身の心の中に、

さらなる不満が蓄積されていくことになる。

さながら自分自身の人生に、

さらなる不幸を呼び寄せるかのように。

不幸になるのか、幸せになるのか。

豊かな心を持つか、貧しい心を持つか。

すべては、自分自身の心のあり方しだいだ。

心のあり方しだいで、

幸せを感じることも、不幸せを感じることも、

できてしまう。

不幸を引き寄せないためには、

心の中の、豊さの感覚を、磨くことである。

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2009年7月19日 (日)

「不安はいつもある」と覚悟する

何かを不安に思う気持ちというものは、

常に心にあるものだ。

これを何とかなくして、

不安のない生き方をしたいと考える人は

多いのではないかと思う。

不安のない状態とは、

どんな状態なのだろう。

ものごとに不確定要素のない状態、

成功することが確実な状態、

そんな状態が作り出せない限り、

不安というものはなくならないのではないか?

もし、そんな不安な要素がなくなったらどうだろう。

すべては自分の考えているとおりに

運ぶことばかり。

それでは、

気持ちの上では安定するかもしれないが、

自分自身を成長させることは

ひょっとしたらできないかもしれない。

不安を抱えながら、いろんなことに取り組むから

だからそこに成長があるのではないか。

何かにチャレンジするということは、

不確定要素は大きいが、

その不確定要素が良い方向に向かうように

努力すること。

それがチャレンジということだ。

はじめからできるとわかっていることは、

不確定要素がない分、

成長にはつながっていかない。

だから、不安を消し去ろうなどとは

考えなくていい。

自分を成長させるためには、

自分の力を超えることにチャレンジすることが

必要になってくるのだ。

それには、

不安といつも向き合う覚悟が

必要になってくるのだ。

不安と向き合っている状態を、

成長するためのステージに立っている状態だと

思えばいいのだ。

不安と向き合っていることが、

成長する可能性があるということ。

何の不安も感じていない状態からは

成長が生まれない。

不安を消し去ろうとするのではなく、

その心の状態を受け入れよう。

あなたの持つその不安は、

あなたが成長するために乗り越えるべき

ことなのかもしれないのだ。

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2009年7月18日 (土)

山登りのごとく

小学2年生になる長男を連れて、

私の庭と言ってよいほど繰り返し登った、

高尾山に、今日登った。

昨年、長男を連れて登ってからすでに

1年近くが経とうとしているだろうか。

息子と一緒に歩いていると、よくわかるのだが、

子どもはとにかく、がまんができない。

今日も、私たち二人が歩いているあいだ、

何度息子の

「疲れたよぉうー」

という声が聞こえたことか。

一定のペースで、継続的に同じ動作をすることが、

子どもにとっては辛いことなのだろうか?

それとも、

継続的に何かに取り組むことが、

どれだけ自分の将来にプラスになるかを

イメージできていないだけのことだろうか?

いずれにしても、

高尾山の山頂まで無事、登りついた息子は、

満面の笑みで、

私とハイタッチを交わしながら、

「頂上に到着できて嬉しい

がんばってのぼって、良かった!」

こんなセリフを口にした。

最後のクライマックスだけでなく、

途中の、苦しかった一歩一歩に、

思いをはせてくれればいいなと、

そんなことを思っていた。

山頂に到着するためには、

途中のがんばりはすべて、必要なものばかり。

途中で嫌気がさして悪態をついた、

そのときの心情もふくめてすべてを、

山頂に着いたときにも思い出してくれていれば

いいな、と。

そんなことを思いながら、私は、

雨粒の落ちる高尾の山頂から

下界を見下ろしている。

山頂にたどり着いたという

結果だけを見るのではなく、

それまでの、登っているときの、

苦しかったときの感情を思いながら、

あれを乗り越えられたんだ、ということを

思いながら、

山頂に到着した喜びを味わってほしい。

すべては、

山登りのごとく、だ。

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2009年7月17日 (金)

無限のグレーを受け入れる

世界は白と黒だけでは割り切れない。

白と黒の間には、

無限ともいえるグレーのグラデーションが、

存在している。

そんなことをテーマに先日から

記事を書き綴っている。

仕事をしていると、

どうもすっきりしない状態で

取り組まないといけない案件がある。

がんばって調整しようとしても、

すっきり白黒つけることができない。

相手の都合もあることだし、

なかなか結論を迫ることができない。

結論がはっきりしない、保留箇所を抱えたまま

仕事を進めていったり、

どうも納得がいかないが、

それが今とれる最善の手だから

割り切って折衷案のようなものを進めたり、

仕事においても、

無限のグレーを常に抱えている。

それはひょっとしたら、

白黒はっきりさせるという動きを

強力に推し進めていくべきことなのかも

しれないが、

やはり、仕事の中にも人の感情というものが

存在しているし、それを無視して

良い結果を出すことは難しい。

白黒のコントラストを無理やりくっきりさせることで、

かえって、そこにいる人たちの感情に

歪みをつくることになってしまう。

そのようになってしまっては、

仕事はうまくいかない。

仕事においてもやはり、

二極化を目指すのではなく

無限のグレーを受け入れる覚悟が、

要る。

無限に広がるグレーのグラデーションの中で、

より、白や黒に近いグレーを目指して

バランスをとり続ける。

そんな心のあり方が求められるのでは

ないだろうか。

     ***

関連記事:

価値観の色合い (2009/7/16)

白でも黒でもない、「グレー」 (2009/7/15)

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2009年7月16日 (木)

価値観の色合い

世の中のあらゆることは、

白と黒、○(まる)と×(バツ)、

あるいは、勝ちと負け

などという二極化された世界だけでは

収まらない。

しかし、何とか無理やり二極化しようという、

つまりは「ひとこと」で簡単に結論づけようとする、

そんな傾向が今の社会にはあるように感じると、

昨日はこのようなことを書いた。

たとえば、格差社会であるとか、

勝ち組と負け組であるとか、

そのようなことである。

でも、そんな二極化された世界で

多くの人の価値観や認識というものを

語ることなど、到底できないのは言うまでもない。

ある一面からは「勝ち組」と呼ばれるような

人たちであったとしても、

ビジネスでは成功を手にしたが

幸せを感じていなかったりする。

決して大きな成功を手にしているとは

いえない人であっても、

心に豊かさを持って、充実した生き方を

していたりする。

失敗するといっても、100%の、いいとこなしの

完全に打ちのめされるような失敗は

そうそうあるものではないし、

成功といっても、すべてが「完勝」といえるような

ものではないだろう。

「全勝」だけが勝ちではない。

「14勝1敗」もあれば、「8勝7敗」もある。

つまり、無数のグラデーションがあるのだ。

完勝完敗とか、

○×とか、

白黒とか、

「ある」か「ない」か、

「感じる」か「感じない」か、

「幸せ」か「不幸せ」か、

「豊かさ」か「貧しさ」か、

そんな二律背反で考えられるほど、

この社会も、仕事をこなすことも、

私たちの生き方も、心のあり方も、

そんな単純なものでは、ないはずだ。

その二極間にある、

無数のグラデーションを排除し、

くっきりとコントラストをつけた途端、

豊かさは、失われるのではないか。

そんなふうに思えるのである。

二極化構造の中で無理やりすべてを

片付けようとするかのようなそんな風潮が、

人々の心に歪みをもたらすような気がしている。

人の価値観などというのは

そのような単純構造の枠に収まりきる

ものではないと思うからだ。

もっともっと、さまざまな価値観の色合いと

いうものがあって、

どれが正しくて、どれが悪いとか

そういうものではないのだと思う。

学校の勉強や試験のような、

ひとつの正解がある世界ではなく、

無数のグラデーションがある中で、

私たちは価値観を見出し、

認識力を高めながら生きている。

そんな無数のグラデーションは

別の見方をすれば

「ノイズ」ともいえるのかも知れないが、

そんな、「ノイズ」のある世界が、

より豊かな世界だと私は感じるのである。

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白でも黒でもない、「グレー」

日々生きていると、

白と黒だけでは割り切れない「グレー」な世界が

あるということを感じる。

いや、むしろ、白黒はっきりすることの方が、

世の中には少ないものかもしれない。

仕事をしていてもそうだし、

自分の生き方について考えることもそうだ。

何が正しくて、何が間違っているか。

正解や不正解などということはない。

○と×だけで決まるものではなく、

その間に実は、無限の△という状態がある。

人が何かを感じることにしても、

心のありかたにしてもそうだ。

幸せか不幸せか、

心が豊かか心が貧しいか、

そんな、白黒の二極化された状態

ばかりではなく、

白と黒の間には「グレー」の、

無限のグラデーションが存在する。

最近の社会の風潮は、

そんな状況を無理やり二極化して

簡単にしようとする傾向があるように

見えるが、

本当は、あらゆる事がらが

そんな単純に割り切れるものではなく、

無限の、豊かで複雑ないろどりをもって

存在している。

その無限の、豊かで複雑ないろどりを、

私たちは感じながら生きていく必要が

あるのだろうと思う。

抽象的な話になりましたが、

もう少し明日に続けます。

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2009年7月14日 (火)

ビジネス書に「現実逃避」しない

本を読んで勉強することは、

ビジネスパーソンにとっての基礎体力づくりだ。

学びについて語るとき私は、

よくこのような言い方をする。

そのような主張を聞くと、

「なるほど、ではとりあえず

本さえ読んでいればいいのか」

などと考えてしまうかもしれない。

「読書は基礎体力作り」というのは

決して間違っているとは思わないが、

それがすべてを表現しているとも、

私は考えていない。

なぜなら、先のことばには

読書によって培ってきた基礎体力を、

実践においていかに発揮するかについて

言及する表現がないからだ。

つまり、読書そのものが

なんらかの成果を与えてくれるわけではなく、

読書によって得られた知識をヒントに、

ビジネスの現場における実践、試行錯誤を

繰り返して初めて、

培った体力を生かせたと言える。

ビジネス書を読んでいると、

それだけで勉強している気分になりやすい。

読み終えると、充実感も覚える。

しかし、本当の勉強は、

そこから始まる。

自分の仕事に生かすためのヒントが、

読んだ本からどれだけ抽出できたか。

そして、それを実際の業務で

どれだけ試すことができたか。

本を読むということは、

その段階まで行って初めて

価値が出てくるのではないだろうか。

本からヒントを得ても、

それを実践するのには勇気がいる。

失敗を覚悟しながら、

それでもあきらめずに乗り越えるだけの

強さが求められるからだろう。

成果を出していくためには、

たとえ泥まみれになりながらでも、

そこは乗り越えていくべきところだ。

そこを乗り越えることなく

ビジネス書を読みあさっても、

それは「現実逃避」にすぎない。

自分なりにがんばって勉強しているつもりで

実は何も乗り越えられていない・・・

そんな状態になっていないだろうか。

振り返ってみて、もしもそんな自分が見えたなら、

本から学んだヒントの1つを胸に刻み、

ページを閉じて、ちょっとの勇気を出して、

現実の仕事に向き合ってみよう。

たとえ上手くいかなくても、そこからは、

本を読んで勉強するよりも

よほど多くの大切なことを、

学ぶことができるに違いない。

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2009年7月13日 (月)

合言葉は「TTP」

本を読んでいて、「TTP」という言葉をよく目にする。

仕事ノウハウ系のビジネス書に出てくるのを、

何度か読んだことがあるが、どこが出所なのだろうか。

トリンプ・インターナショナル・ジャパンで定着していた

社内用語が広まったものだと聞いたことがあるが

本当のところはどうなのだろう?

さて、この「TTP」とは何だろう?

私がビジネス書で結構な頻度で

目にするほどだから、

ご存じの方も多いかと思う。

英熟語の頭文字を取ったとか、

そういうのではなく、

「Tettei Teki ni Pakuru」

つまり、「徹底的にパクる」

の頭文字から作った言葉らしい。

これは、人が実践しているやり方で、

有効だと思われるノウハウを見つけたら、

徹底的にパクって、自分のものとして

吸収してしまおうという考え方。

仕事で成果を出している人を見て、

「この人が、これだけの結果を出す、

その原因になっているものは何か?」

という視点で観察する。

「これはイイ!」

と思えるようなものを発見したら、

自分のやり方にも取り入れてみる。

その際に大切なのは、「徹底的に」ということ。

「なるほど、こんなやりかたもあるのか。」

と感心して、知識として持っていても、

実践しなければ何の役にも立たない。

知っていることが重要なのではなく、

どれだけ自分のモノにするかが大切だ。

優秀なパフォーマンスをあげている人や、

好業績を上げている企業を身近に見る機会が

あれば、その人や会社の行動や、取り組み、

思考や習慣などを観察してみよう。

そして、ただ「すごいなあ」と見ているだけではなく、

自分や自社が参考になるようなことを見つけ、

「TTP(徹底的にパクる)」してみてはどうだろう。

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2009年7月12日 (日)

読書で得た知識をどう生かすか

最近、以前に比べて本を読む量が

減ったように思う。

読書という行為が、どれだけの

パフォーマンスを発揮しているかを

気にするからか。

ビジネスに役立てるための読書

という意味では、

読書のパフォーマンスは

読んだその本からどれだけの

ノウハウを吸収したか。

そうやって得たノウハウから

どれだけの成果を上げたか。

そんなことが基準になるのだろう。

では、私が実践している読書は、

その本を購入するための金額と、

読むために費やした時間を

足してもなおプラスになるだけの成果を

出すことができているだろうか?

そんなことを考えていると、

少々雑な本の読み方をしているような

感じもしなくはない。

そう思って、

ていねいに味わいながら、

考えながら、

本を読むことが多くなった。

もちろん、

ビジネス書以外のジャンルが

多くを占めるなど、

バランスが変わってきたこともある。

また、昨日の記事で書いたような、

学びを愛する姿勢というものも

最近意識しているので、

単に効率を求めた読書ではなく、

本そのものを、丸ごと受け入れるつもりで

読んでいる。

読書もやはり、学びのひとつであり、

効率よく読むことだけが良いわけではない。

何度も繰り返し読んで、

行間のニュアンスが読み取れるようになったり、

読めば読むほど、

新しい気づきを得られる、そんな本もある。

効率よく、たくさん読むのが良いわけではない。

全然効率よくなくても、

ゆっくり味わいながらでもいい、

その読書から、何を得ることができたか。

ただ知識を増やすだけではなく、

実際に自分の生活や、仕事の中で

生かしていくことが大切だ。

1冊の本から、どれだけ知識を得たかではなく、

得た知識をどれだけ生かせたか。

せっかく時間を作って、お金を費やして行う読書。

本を読むときの意識として、

「どれだけ生かせたか」というこを

もっともっと強く持っていたいものだ。

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2009年7月11日 (土)

学びを愛する姿勢

何かを学ぶ必要に迫られるときがある。

仕事のダンドリが悪く、時間がかかっているわりには

なかなか思うような成果が上がらない。

だから、仕事のダンドリについて学ぶ。

コミュニケーションがうまくとれない。

話しているのに、聞いてもらっているのに、

なぜか上手く伝わらない。。

だから、コミュニケーションについて学ぶ。

そもそも、自分が仕事で手掛けている専門分野、

私であれば情報処理の技術知識、が不足している。

だから、専門分野の知識を基本から学ぶ。

そんなとき、多くのひとは必要に迫られて、

ビジネス書や技術書を買い、読んで勉強する。

そのような姿勢で取り組む人を見ていると、

基本的な姿勢としては素晴らしいと思う。

ただ、その人の、やる気の方向を見ていて、

ちょっと違うな、と感じることもある。

それは、何だろう?

ちょっと変な感じがする表現かもしれないが、

それを学ぶことを、

学ぼうとしている対象を、

愛する気持ちがあるのか?

ということである。

「どうしたら効果的に学べるか?」

という中に、

効率よくとか、

てっとり早くとか、

そんな意識が伝わってくる。

もちろん、イヤなことだけれども、

どうしてもやらなければならず、

てっとり早く効率よくこなしたい。

そんな仕事もあるだろう。

やりたいことばかりではない。

しかし、仕事で成果を出していくには、

効果的に学ぶためには、

やはり、それを好きになって、

楽しめるように工夫をしていくことが

大切になってくる。

そのことに、

愛する気持ちすら持つことが

本当の学びにつながっていく。

そんなふうに思えるのだ。

効率よく勉強しよう、

短時間でてっとり早く、

という姿勢には

実は、そのことが嫌いだ

という気持ちが隠されている。

嫌いな気持ちを持ったまま、

正面からそのことと向き合うことはできない。

そんな気持ちで、なるべくそれを正面から

見なくて済むように、

視界に入れないように顔を背けながら、

それでいて、てっとり早く成果を上げる。

そんなことが、はたしてできるだろうか?

学びで成果を出すためには、やはり、

学ぼうとするそのことに、正面から向き合い、

愛情を注ぎ、敬意を払い、

学ぶことに喜びを感じることが

大切ではないだろうか。

効率よくものごとをこなすことは、

仕事において重要な要素ではあるが、

世の中のことが万事、

効率だけに支配されて良いものか。

効率とはそもそも、

何かに注ぐ時間をもっと増やしたい、

だから、その何か以外の時間を短縮したい。

そんな切実な思いから

生まれたものではなかったか。

すべてが「効率」では、

私たちの取り組む仕事も、

私たちの日常生活や人生も、

世の中のあらゆることが

むなしくなりはしないだろうか。

効率を求めることは、

ある面では大切なことでもあるし、

それを否定するわけでもない。

私自身、効率よくこなすノウハウについて

語ることもある。

しかし、そこはバランスで、

効率よくこなしたその一方では、

たっぷり時間をかけて心ゆくまで味わい、

喜びを感じながら学ぶ。

そんな学び方も必要なのだ。

あなたがいま、

関心を持って勉強していること。

あなたはその学びに、

愛を注いでいますか?

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2009年7月10日 (金)

仕事を生み出す力

仕事を生み出す人とは、どういう人か。

今朝は、

「仕事を生み出す力」

について、少し考えてみたい。

ここでいう「仕事」というのは

もちろん、新しい価値を生み出すものである。

何でもいいから金を稼ぐタネをつくる

という意味ではない。

さて、

新しい仕事を生み出す人がいる。

また、人から言われなければ、

自分では何もできない人がいる。

この人たちの間には、どんな差があるのだろうか。

意識の差?

主体性があるかないか?

それも正しいような気がする。

私が考えるのは、「想像力の差」である。

仕事とは想像力だ、とよく考える。

何か作業を指示されたとする。

このとき、言われたことを、

ただそのままやるだけだと、

想像力を働かせる必要はない。

そのことはまた、

自分なりの「付加価値」を乗せることも、

できないことを意味する。

仕事をつくるとは、

付加価値を生み出すことであり、

そのためには想像力が必要になる。

たとえ言われたことをこなすにしても

想像力を働かせて、

そこに自分なりの「付加価値」を乗せることは

できるだろう。

そのような積み重ねが、

やがては「仕事を生み出す力」に

つながっていくのではないかと思う。

仕事とは想像力だ。

頼まれもしない仕事を、どれだけやれるか。

頼まれもしない仕事というものは、

誰も指示してくれないのだから、

自分の想像力を駆使してひねり出すしかない。

そのような頼まれもしない仕事が、

やがて頼まれる仕事になっていくのだろう。

自分で言っていながら、自分の耳が痛くなる話だが、

仕事を生み出せる人と、そうでない人との差は

そんなところにあるのだろうと、思う。

想像力を働かせることを忘れず、

付加価値を生み出せるよう、

日々の仕事に打ち込んでいきたいものだ。

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2009年7月 9日 (木)

自然治癒能力を高める

私たちの持っている「習慣」というものはある意味、

個人レベルの「しくみ」ということが

できるのではないか。

「しくみ」とは、再現性のあるものだ。

つまり、いつでも同じことを再現できるということ。

それが習慣だと考えることができる。

そんな前提に立ってみると、

私たちが何かに失敗するということの

意味するものが見えてくるのではないか。

その意味とは何か。

私たちが失敗するとき、それは、

「失敗するしくみを持っている」

ということだ。

「失敗する習慣を身につけている」

と言い換えることもできるだろう。

しくみとは、なんらかの結果を出すための

「プロセス」であるから、

「失敗する」という結果が出るということは、

そこには、失敗に向かうプロセスがある。

しくみというのは、

再現性のあるものだと述べた。

習慣とは個人レベルのしくみだ、とも。

ということは、

失敗するしくみを持っている私たちは、

それが習慣になっているわけだから、

失敗の再現性をも獲得していることになる。

今回はたまたま失敗した。。。

などと考えていると、その失敗するしくみを

いつまでも手放せずにいることになる。

だから、

私たちにはそこに、もうひとつのしくみを

導入する必要があるのだと思う。

それが、

「自然治癒能力を高める」

ということ。

自然治癒能力とはつまり、

失敗を振り返り、

それを繰り返さないよう

プロセスを改善する習慣のことである。

失敗する可能性をできるだけ

少なくするための「しくみ」をつくる。

失敗の芽を早い段階で発見できる

「しくみ」をつくる。

失敗してしまっても、すばやく対応できる

「しくみ」をつくる。

そのような視点で今のしくみを見直し、

新しいしくみを習慣として身につけていく。

この取り組み自体を日常的に繰り返し、

習慣として定着させる。

そのことによって「しくみ」を磨き上げることが、

私たちには必要なのだろう。

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2009年7月 8日 (水)

考えることに時間を使う

仕事には「考える系」の仕事と、

「作業系」の仕事がある。

「作業系」とは、いわゆるルーチンワークとか

言われるものや、頭を使わない単純作業だ。

われわれの中で一番重要なのは、

「考える系」の仕事に時間を使うことだと思うのだが、

本当の意味で考えるということが、人は億劫なようで、

”考えているつもり”で終わっていることが多い。

私自身を振り返ってみても思い当たるのだが、

頭を使わないと進まない仕事というのは

始めるのになかなか覚悟のいるもので、

できれば避けて通りたいという気持ちになりがちだ。

「作業系」の仕事は成果が見えやすく、

仕事をしたつもりになりやすい。

だから、手っ取り早く目に見える成果を出すのに、

「作業系」に逃げ込みたくなる。

しかし、これからは知識社会。

知識や思考が価値を持つ社会になる。

いや、「21世紀は知識社会」といわれて久しいから、

もうすでにそのような時代に突入している。

そのような時代にあっては、

価値のある仕事というのは言うまでもなく

「考える系」の仕事になっていく。

「作業系」は、誰かが頭を使って工夫し、

仕組み化、自動化を進めていく。

つまり、頭を使うことなくして

成果の出る仕事はなくなっていくのだ。

本気で考えるというのは

なかなかしんどいことだが、

億劫がってばかりもおれない。

そのように思っている。

     ***

「考えるということは大変なことだ。

だから考える人間はほとんどいない」

―アルバート・アインシュタイン

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2009年7月 7日 (火)

答えだけを求めない

ハウツーものの本があふれている。

不況感が続くなか、

勉強をして今のうちに力を蓄えておこうと

危機感を持つビジネスパーソンも多いようだ。

しかし、ハウツーものとか、ノウハウ本だ。

そこに、安易に答えを求めようとする、

そんな心の現われのようにも見える。

昨日の、決断に関する記事にも書いたが、

結局ものごとの「正解」を決めるのは

自分である。

周囲からとやかく言われて、

自分自身の、ものに対する価値が

決まっていくものではないのだ。

自分の中に、何かをしようとする動機があり、

出したい結果がある。

その結果を出すために通るべき道も、

人とは違うかもしれない。

つまり、答えというのは人それぞれであり、

自分の外に答えを求めても、

それは見つかるものではないということ。

だから、「答えを教えてくれ」という発想は、

ちょっと違うのではないかと思う。

自分自身の認識力を高めるためのヒントとして、

いろんな書籍などの情報に当たることは

有効なことであると思う。

しかし、それは外に答えを求めることとは、

根本的に違うことだ。

答えというのは本来、自分の内側にあって、

自分の内面を見つめ、耳をすませ、

自分自身と深く関わっていくことによって

得られるものではないか。

安易に答えだけを求めることは、

自分の心を置き去りにすることに

なりはしないだろうか。

私たちは、自分の心が求めているものとは

まったく違うものを、

「世間一般では正解だと考えられている」

という理由で、求めてはいないだろうか。

安易に答え(と思われるもの)だけを

求める発想ではなく、

自分の中に答えを見出すという、

思索のプロセスをもっと大切にしたいものだ。

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2009年7月 6日 (月)

決めるということ

何かを決断するということは、

そのときの心境などを無視すると

実はとても単純なものだ。

難しいルールがあるわけではない。

マルかバツか、二つに一つ。

しかし、何かを決めるということは

難しいものである。

迷ってばかりいて、

いつまでたっても決められない人がいる。

なぜ、そうなるのか。

その背景には、

バツを選んでしまうことを恐れる気持ちが

あるのだろう。

自分の選んだ方が、正解ではなかったら

どうしよう。

そんな不安が、決断力を鈍らせるのだろうか。

しかし、実は決断した内容に

正解も不正解もないのではないか。

結果的に正解だったと、

あとからそう評価するだけの話だろう。

失敗したから、間違いだったのだと。

決断力とか、直観力とかいうのも

先天的なものではなくて、

訓練によって養われるものだ。

つまり、決断するという行為の

「量を積み重ねる」ことによって、

その質を上げていけるものだと

私は考えている。

その考えに沿って言うと、

間違った決断をするという経験も、

たくさん持っている必要があるだろう。

自分で決断する訓練を積んでいないのに、

良い決断をしたいと思うから、

だから決められずに迷うのかもしれない。

これも、いきなり質を求めてかなうという

ものではないのだ。

普段から、ちょっとしたつまらないことでも、

即断即決の訓練をしておくことで、

決断力を磨いておきたいものだ。

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2009年7月 5日 (日)

勤勉な人ほど時間に余裕がある

昨日の、面倒くささと向き合うという記事と

似たような主張をしている文章に出会った。

ちょっと引用してみたい。

     ***

勤勉な人の方がかえって時間に余裕を持っている

というのは、まぎれもない事実である。

時間をきっちりと割り振って、それぞれの時間に

やることを決めておくので、

仕事が片付けば暇な時間ができるのである。

それにひきかえ、

怠惰な人間の生活は、

活気のない、よどんだような生活である。

川の水もゆったりとしすぎて全然流れないより、

幅は狭くとも勢いよく流れていたほうがいい。

誰だって、ないだ海に何週間も帆船を

つなぎとめておくより、たとえ嵐でも強風を帆に

受けて沖へ乗り出したくなるだろう。

―『自分を鍛える!』(ジョン・トッド著/渡部昇一訳)
 三笠書房/2002年3月

     ***

面倒くさがってじっと休憩している時間は、

結局その間苦しんでいるだけの時間になる。

勇気を持って、向き合っていけば

怠惰なこころはどこかへ行ってしまうものだ。

面倒だから、やらない。

そんな、感情に簡単に振り回されるだけでなく、

ときには、

面倒だけど、やってみる。

そんな選択肢もあることを

認識しておくべきだろう。

感情とは反対の選択を敢えてしていくことで、

こころは磨かれていくのではないだろうか。

     ***

関連記事:

面倒くささと向き合う (2009/7/5)

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2009年7月 4日 (土)

面倒くささと向き合う

小学2年生の息子はよく、

何かをしていて面倒くさくなるのだろうが、

すぐに休憩したり、べつのことをしていたりする。

時には大人にもそんなことはあるのだが、

部屋を片付けていて、

すぐに別のことをやり出す。

風呂で体を洗っている途中、

ぼーっと休憩している。

「休憩ばっかりしていたら、

ナマケモノになるよ」

私は、時に冗談めかして彼に言う。

今日はたまたま、ちょっときちんと話してみようと

思い立って、私自身が日ごろ考えているところを

じっくりと説明してみた。

難しくて理解できないところもあるだろうが、

こんな考え方も、ちょっとは知ってほしいと考えた。

     ***

面倒くさいと思うことは、子どもだけではなく

大人でも、誰にでもあるよ。

父ちゃんは、それが悪いといって

責めたりはしないよ。

でもね、

面倒くさいと思ったときに、

人は2つの道のうち、どちらか1つを選んで

進むことができるよ。

1つは、面倒くさいからといって

休んでしまうこと。

もう1つは、面倒くさいと思っても、

がんばって続けること。

面倒くさいときに休んでしまって、

それをやらない人には、

もっと面倒くさくて苦しくなるような

「おもり」がつけられるんだ。

それは、キミの中にいる心が、

そうするんだよ。

でもね、面倒くさいのなんかに

負けないよ!ってがんばってやると、

面倒くさい「おもり」をつけられてたのが、

はずされて軽くなってくるんだよ。

これも、キミの心がそうするんだよ。

がんばってしんどいことをする人と、

がんばらないで休んでばかりいる人。

どっちが苦しいと思う?

がんばっている人のほうが

苦しいと思うでしょ?

でもね、実はね、

がんばらないで休んでいる人のほうが、

苦しい思いをするんだよ。

人間ってね、

そんなふうにできているんだよ。

休憩ばかりして苦しい思いをするか、

がんばってラクになるか。

どっちがいい?

     ***

そんなことを言いながら、

私もラクをしたいと思いながら休憩をして、

結果的に苦しむことも多い。

あとでもっと面倒くさいことになるから。。。

そう考えて、いまの面倒を進んで選ぶ。

そんな考え方も、人間成長するためには

必要なのだと思う。

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2009年7月 3日 (金)

仕事を楽しむ

昨日、職場の新人と面談をする機会があり、

その中で仕事に対する考え方や

取り組む姿勢についての話が出た。

そこで改めて、私自身の姿勢についても

ちょっと見つめなおしてみようと、思えた。

      ***

面白い仕事もつまらない仕事もない。

仕事が面白いかどうかを、

その仕事の内容に期待すると

裏切られてしまうでしょう。

実は、

つまらない仕事なんかない。

仕事にかかわる人の姿勢が

仕事を面白くしたり、

つまらなくしたりしているにすぎない。

―『どんな仕事も楽しくなる3つの物語』(福島正伸著)より

     ***

今、自分が関わっている仕事の面白さは、

自分の仕事に対する考え方によって

決まってくるものなのだ。

考え方を理解しているかではなく、

同じこころのあり方で、

毎日実践できているかが大切。

私は日々、仕事を楽しめているだろうか。

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2009年7月 2日 (木)

まく種を変える

いま、仕事において出ている結果は、

あなたや私の気に入っているものだろうか?

いま出ている結果は「収穫物」だ。

花であり、果実である。

それは、私たちのまいてきた種が、

花を咲かせたり、実をつけたりしたものだ。

つまり、いま現実に目にしている、

この結果を出すために、

私たちは種まきをしてきたことになる。

それは、

望む、望まないに関わらずである。

もしもこの結果が、

気に入らないものであれば、

まくべき種を間違えたのだ。

まくべき種を変えなければ、

次もまた、数ヶ月後、数年後に

同じ花や果実をつけることになるだろう。

いま目にしている「果実」を見て、

数ヶ月前、あるいは数年前に

私がまいたのはどんな種だったか?

思い出してみよう。

そして、本当に今自分が欲している

「果実」に思いを馳せ、

その「果実」を手に入れるためには

どんな種をまくのが良いか、考えてみよう。

私たちには、

結果だけを変えることはできない。

できるのはただひとつ、

まくべき種を変えることだけなのだ。

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2009年7月 1日 (水)

ガチョウと黄金の卵

先日の記事で、

ある取組で成果を出し続けるためには

2つのことにバランスよく取り組むことが

大切であることを書いた。

ひとつは、

【成果を出すために必要な能力を磨くこと】

もうひとつは、

【実際に成果を出す取り組みをすること】

この2つのバランスが大切だと書いた。

次の有名な話も、

この2つのバランスについての教訓を示している。

     ***

ある貧しい農夫が、

飼っていたガチョウの巣の中に

キラキラと輝く黄金の卵を発見した。

翌日も、そのまた翌日も、

ガチョウの巣には新しい黄金の卵が

産み落とされていた。

この卵は純金で、

やがて農夫は大金持ちになった。

富が増すにつれて欲が出て、

せっかちになった農夫は

1日1個しか生まれない黄金の卵が

待ちきれず、

ついにガチョウを殺し、

腹の中の卵を全部一気に手に入れようと決めた。

そして、いざガチョウの腹を開けてみると、

中は空っぽだった。

黄金の卵はもちろんなく、

そのうえ黄金の卵を手に入れる手段さえも、

農夫は失くしてしまったのだ。

黄金の卵を生み出してくれる

ガチョウを殺してしまったのだった。

     ***

黄金の卵を生むガチョウはつまり、

【成果を出すために必要な能力】

だった。

黄金の卵は

【成果】

そのものだ。

ガチョウをおろそかにして、

黄金の卵にばかり固執していては、

やがて黄金の卵を生み出す資源を

失くしてしまうことになるだろう。

逆に、ガチョウの世話ばかりして

黄金の卵のことを考えずにいると、

何の成果も得ることはできなくなる。

適切なメンテナンスをせずに資源を酷使することは

愚かなことだが、

メンテナンスばかりに力を注ぐこともまた

愚かなことだ。

バランスは、大切だ。

     ***

関連記事:

実践とトレーニング (2009/6/25)

包丁の刃を研ぎ、調理をする (2009/6/24)

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