時には習慣にも刺激を
努力というものを、続けることそのもの
維持することそのものだけに傾けるよりも、
継続や維持すること自体は「習慣」に任せてしまい、
努力のほうは「習慣化するための工夫」に向ける。
そうすることで、他人の目からは
ストイックにも映るような取り組みが
実のところそれほど努力することもなしに
ラクに続けていくことができる、
そのようなことが起こってくる。
今日は、そこからさらに一歩踏み込んで、
習慣化された先のことについて書いてみたい。
先述したとおり、習慣というものは
継続することにより積み重ねていきたい
取り組みがある場合には、
それを達成するための心強い味方となってくれる。
実際、私たちの日々の行動のほとんどは
習慣化されたことで占められている。
それは行動に限らず、
思考についても同じことが言える。
しかし、このことが却って、
「工夫」というものを遠ざける原因にもなる。
習慣というものは、
どんなに大変な取り組みであっても、
特に努力することなしに、半自動的に、
そのことを継続していけるという特性がある。
その、半ば自動的に、というところが
「工夫」を遠ざける要因になっているのである。
つまり、習慣化によって
半自動的に取り組めるようになったことは、逆に、
そのことに工夫をする、改善をする、変化をつける
ということと縁遠いことになってくる。
だから、時々、
習慣によって半自動的に
取り組んでいることを振り返って、
「このまま続けるのがよいのか」
ということを問うてみたい。
そして、できることなら時々、
意識的に変化をつけるということを
してみたい。
変化をつけることによって、
取り組みの結果が大きく変わってくると
問題かもしれないが、
大して結果に影響を与えないことであれば、
どんどん変化をつけていってもいい。
たとえば、
通勤ルートを少し変更してみるとか、
いつものランニングコースを
カスタマイズして少し変化をつけてみるとか。
その程度のことでも、
変化をつけることによって
刺激されるものだ。
そして、それを契機に、
「今までずっと、何も考えずにやってきたけど、
ちょっとこう変えたほうがいいかも・・・」
などといった、ちょっとしたアイデアが
出てくることもあるだろう。
習慣と化したことについても、
半自動的に同じやり方で続けるだけでなく、
時々変化をつけて、刺激を与える。
そして、それをすること自体も
習慣にする。
そうすることで、習慣化されたその行動が
少しずつでもレベルアップし、
習慣化された行動でありながら、
新鮮さも失わない、
そんな状態を保てるのではないだろうか。
***
関連記事:
●続ける努力より、習慣にする工夫 (2009/7/30)
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