カテゴリー「印象に残ったことば」の14件の記事

2009年11月12日 (木)

自分と向き合うチャンス

◆第460号 (2009/11/11)◆

「すらすらといくらでも

溢れ出てきて、

無限につくれるような気が

するときもある。

壁にとじこめられて、

ニッチもサッチもいかない、

悩めば悩むほどいきづまってしまう、

絶望の季節もある。

そういうとき、どうするか。

焦らない。

自分と向き合うチャンスだ、

と思ってじっくり腰をすえて、

自分はほんとうに何がしたいのか、

見極めることだね。」

―『壁を破る言葉』(岡本太郎著)
 /イースト・プレス/2005年4月

     ***

久し振りに、岡本太郎さんの本を

開いてみた。

適当に読むともなくペラペラめくっていて

冒頭のことばに出会った。

だいたい、調子よくいっているときというのは、

自分と向き合うことができないものだ。

上手くいくことばかり考えてしまうし、

何かを学びとることも難しい。

自分の中でこれまで蓄えてきた

貯金のようなものだろう。

その貯金を使って、ものごとがうまく

運んでいるときというのは、

貯金が減っていく一方で増えていかないので、

やがて貯金が尽きようとすると

うまくいかなくなってくる。

逆に八方塞がりで、

何をやってもうまくいかないこともある。

そんなとき、焦りの気持ちが出てくる。

こんなはずではない。

もっとうまくやれるはずだ。

こんどこそは。

そんな焦りの気持ちでいても、

なかなか苦境から脱することはできないもの。

なぜなら、焦る気持ちとは

一気に今までの分を挽回しようという

思いを表しているからだ。

つまり、

いまは自分自身とじっくり向き合い、

足りない力をしっかり蓄えておく時期なのに、

それを飛び越して調子を上げていきたいと

思っても、それはかなわないのだ。

焦れば焦るほど、抜けだせなくなる。

焦って適当なことをやっても

仕方がないのだ。

そんなときは自分と向き合うチャンス。

「ありたい自分」というものについて、

じっくりと考えてみたいものだ。

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2009年9月24日 (木)

たれがかしこく、たれがかしこくないか

◆第414号◆

本日も賢治童話からのフレーズを。

【印象に残ったことば】

「ああ、まったくたれがかしこく、

たれがかしこくないかはわかりません。

ただどこまでも十力(じゅうりき)の作用は

ふしぎです。」

―『虔十公園林』(宮沢賢治作)

この『虔十公園林』もまた、

私が賢治さんの童話で好きなひとつ。

虔十という人は物語のなかで、

「すこしたりない人」と表現されている。

とても純粋なこころの持ち主で、

自然を愛しているのが伝わってくる。

そんな虔十がある日、

裏庭の芝原にたくさんの杉苗を植える。

粘土質の固い土で、杉を植えても

育ちそうにない土地だったが、

兄さんの助けを得て、8年ほどかけて何とか

3メートルほどの杉を育てる。

いつしかその杉林は、

子どもたちの遊び場になる。

その杉林は並木道のように、

実に規則正しく杉が並んでいた。

虔十は毎日毎日、杉の木のかげから

子どもたちの遊ぶ姿を喜んで

眺めていた。

それから虔十はチフスにかかって亡くなる。

虔十が亡くなって20年近くが経ち、

町はすっかり形を変えてしまった。

杉林だけが、虔十の唯一の形見として

残っていた。

あるとき、町の出身で、アメリカの大学にいる

若い教授が15年ぶりで帰郷する。

小学校で講演を終えた教授は

校長先生たちと虔十の杉林のほうへ行き、

そこが昔のまま変わっていないことに驚く。

その教授もまた、虔十が見守る中

その杉林で遊んでいた子どものひとりだったのだ。

そして、校長から話をきいて事情を知る。

ここは虔十のただひとつの形見だからと、

家族が頑なに売らずに守っていた。

そして、教授の口からは冒頭のフレーズが。

「ああそうそう、ありました、ありました。

その虔十という人はすこしたりないと、

わたしらは思っていたのです。

いつでも、はあはあわらっている人でした。

毎日ちょうどこのへんに立って、

わたしらのあそぶのを見ていたのです。

この杉もみんな、その人が植えたのだそうです。

ああ、まったくたれがかしこく、

たれがかしこくないかはわかりません。

ただどこまでも十力(じゅうりき)の作用は

ふしぎです」

アメリカ帰りの教授によって、

この杉林は「虔十公園林」と名づけられる。

十力(じゅうりき)とは、

仏がそなえる十種の力のことだそうだ。

昨日のやまねこのセリフも

これと同じようなニュアンスだと思うが、

これが、賢治さんが多くの学びや

法華経の信仰を通して得た

こころのあり方なのだろうか。

そこに少しでも近づくために、

私たちにはまだまだ鍛練が

必要なのだろう。

     ***

関連記事:

まるでなっていないようなのが、いちばんえらい (2009/9/23)

心象スケッチ (2009/9/22)

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2009年9月23日 (水)

まるでなっていないようなのが、いちばんえらい

◆第413号◆

【印象に残ったことば】

「このなかで、

いちばんえらくなくて、

ばかで、

めちゃくちゃで、

てんでなっていなくて、

頭のつぶれたようなやつが、

いちばんえらいのだ」

―『どんぐりとやまねこ』(宮沢賢治著)

     ***

賢治さんの童話で私が好きな話のひとつ、

『どんぐりとやまねこ』。

そのなかで、裁判長のやまねこが、

一郎の入れ知恵により

どんぐりたちに申しわたしたセリフ。

どんぐりたちは、誰が一番えらいかを決めるのに、

頭のとがっているのがいちばんえらい、

まるいのがいちばんえらい、

大きなのがいちばんえらい、

せいの高いのがいちばんえらい、

と言い争いをしている。

それに決着をつけるために

草地のまんなかで裁判が開かれ、

裁判長としてち会うやまねこ。

言い争いは堂々巡り。

ゲストに迎えられた一郎はやまねこから、

「このとおりです。どうしたらいいでしょう」

とアドバイスを求められる。

そこで一郎は、自分自身もいつか説教で

聞かされたことがあるという、

冒頭のことばをやまねこに話す。

やまねこからの申しわたしを聞いた

どんぐりたちは、しいんとしてしまう。

『それはそれはしいんとして、

かたまってしまいました』

という記述で、裁判は終了する。

まあ、月並みな感想になってしまうが、

人と比べてどうの、ということは

自分自身の生き方にとっては意味がないというもの。

その意味で、この、一郎とやまねこのことばは

私にとって共感できるものであり、

救われたような気持にもなるものである。

人と比べてできていないことがあるといって、

それを卑下しても何もならないし、

学びにとってプラスになる謙虚な姿勢とも

似て非なるものだ。

人より劣っているからと

自分を卑下するということは、

謙虚なように見えて実は、

傲慢な態度ではないかと思える。

それは裏を返せば、

逆に人より優れた点を見つけると、

自分より劣っている相手をさげすむという

態度に直結する。

そんなメンタリティから出てくる態度だからだ。

本当の意味で謙虚でいるということは、

難しい。

自分など、まだまだだ。

と思えるためには、

よほど勉強していなければならないからだ。

「しいん」となってしまったどんぐりたちは

実のところ、

自分がいちばんえらいのだということに、

絶対の自信を持っていたわけでは

なかったのかもしれない。

     ***

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2009年8月22日 (土)

続けていれば知恵がつく

◆第380号◆

リンゴの無農薬栽培に成功した木村さん。

無農薬栽培を決意してから10年ほどは、

とにかく失敗続きだった。

あらゆることを試すが、

ことごとく効果が表れず、

だんだんと家計を圧迫し、

リンゴの木も衰弱する。

それでもあきらめなかった木村さんだが、

失敗ばかりを繰り返してきた日々は

ムダだったのかと言えば、決してそうではない。

それは、木村さんの著書を読んでみれば

すぐにわかること。

とにかく、試行錯誤の中で得た

知識や知恵が、半端ではない。

人はその気になれば、1つの失敗からでも

多くを学ぶことができるが、

木村さんのように、来る日も来る日も

何か新しいことを試し、

失敗だとわかると次の手を考える。

少しでも効果がありそうだと思ったら

とにかく試してみる。

こんなことを続けてきたのだから、

失敗を経験するたびに

どんどん学びが深くなって、

ついには、誰にも行きつくことのできない、

そんな領域に足を踏み入れることに

なるのだろう。

失敗を繰り返すことだけに目を向けると、

これほどムダなことはないように

映るかもしれない。

しかし、そこから得られる学びは深く、

またどんどん広がっていく。

初めからムダを廃して、

必要と思われることだけに絞り込んで

取り組んでいたらどうだろう。

いわゆる、効率主義的なやりかただ。

成功への最短距離を歩んでいるつもりでも、

本当の豊かさは得られないのではないか。

ひとつのことに狂い、

バカになって取り組んでいくことで、

多くの知恵が得られる。

それはとても豊かなことではないか。

なんでもかんでも、効率よくこなすことを考え、

最短距離を目指していると、

寄り道をしていろんなものを広い集めることが

できなくなる。

深く向き合うべきものに、目を向けなくなる。

自分が興味を持ったことを、

効率など気にせずにどこまでも深掘りする。

バカになってそれを続けていくことによって、

私たちは本当の豊かさに出会うことが

できるのではないかと思うのだ。

     ***

関連記事:

ひとつのものに狂えば、いつか答えに巡り合う (2009/8/20)

私はバカだからそれを乗り越えた (2009/8/19)

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2009年8月21日 (金)

ひとつのものに狂えば、いつか答えに巡り合う

◆第379号◆

「バカになるって、やってみればわかると思うけど、

そんなに簡単なことではないんだよ。

だけどさ、死ぬくらいなら、その前に一回は

バカになってみたらいい。


ひとつのものに狂えば、いつか必ず答えに

巡り合うことができるんだよ」

木村秋則さんが、自殺を考えていたという

若者に話したことば。


木村さんが狂ったひとつのものとは、

いうまでもなくリンゴの無農薬栽培。


農薬を使わなければ、

リンゴを収穫することはできない。


リンゴ栽培の実情を知る人にとってそれは、

常識以前の問題なのだった。


近所の人からは「かまど消し」とののしられた。

娘の作文には、こんなことが書かれた。

「お父さんの仕事はリンゴづくりです。

でも、私はお父さんの作ったリンゴを

食べたことがありません」


リンゴの木を苦しめ、

自分や家族も苦しみ、

ある日ついに、死ぬ覚悟をする中で、

木村さんは大きな発見をする。

ひとつのものに狂った人が、

ついに答えに巡り合った瞬間だ。

そして、苦節9年。

木村さんの畑一面に、

真っ白いリンゴの花が咲く。

「9年ぶりのリンゴの花見は、

涙に濡れていた」

「なんか、まともに見られないのな。

見るというよりも、ほんとにその小屋の

陰から覗くという感じであったな」

次第に自分のしていることに

自信を持ち始めていた木村さんだが、

いざ成果をこの目で確認するときが来ると、

やはり、期待と不安が入り交じる。

「花が咲いているのを見ても、

あそこはまだ隣の畑じゃないかって

思ったくらいだからな。

でも、どう見ても自分の畑なのさ」

「あの日は、何回見に行ったか

わからないな。

夕方、お祝いをしようと思って、

お酒を持って行って、

リンゴの木の一本一本にふるまいました。

木の根元に、ちょっとずつかけて回ったの。

ありがとう、よく花を咲かせてくれたって。


うん、私も飲んだよ。


あははは、私が飲んだ方が多かったな」

この花を咲かせたのは私ではない。

リンゴの木なのだ。

主人公は人間ではなく、リンゴの木なのだ

ということが骨身に染みてわかったという

木村さん。


私に出来ることは、

リンゴの木の手伝いでしかない。


失敗に失敗を重ねて、

ようやくそのことに気づいたという。


すべてのことは、ムダにはならない。

続けていれば、何かが手に入る。

そんな信念を推進力として

突き進んでいく、

成功者の粘り強さを見習いたい。


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2009年8月19日 (水)

私はバカだからそれを乗り越えた

◆第378号◆


●リンゴが教えてくれたこと/木村秋則著
 日経プレミアシリーズ/2009年5月

【印象に残ったことば】

「私は何度も失敗して答えを得ました。

失敗がなければ答えがないわけです。

人よりも多く失敗したから答えを多く得た、

ただそれだけじゃないか。

私はバカだからそれを乗り越えた。

リンゴも仕方ないと思ってくれたのでしょう。

山の自然からのご褒美だったかもしれません」

著者の木村秋則さんは『プロフェッショナル〜仕事の流儀』

というテレビ番組で、無農薬で栽培した『奇跡のリンゴ』

を取り上げられ、一躍有名になった。

リンゴはほかの植物にくらべて、無農薬で栽培するのが

特に難しいといわれる。

害虫や病気にとても弱く、

強力な農薬を使って過保護とも言えるような

育て方をするのが、青森のリンゴ農家では

常識となっている。


そんな中、木村さんは無農薬栽培という

誰の目にも無謀と写るチャレンジを始める。

しかし、農薬をぱったりやめたとたん、

毎年おびただしい害虫の発生に悩まされるようになる。

農薬散布をいっさいしないものだから、

来る日も来る日も、

手作業による害虫駆除に追われる日々。


一方で、農薬に代わる害のない、

それでいて害虫駆除に効果のあるものを

片っ端から試す。


農薬に代わる効果を発揮するものは

一向に見つからず、


リンゴの木はどんどん衰弱していく。


収穫のない年が何年も続き、

家計も圧迫される。


それでも、木村さんはあきらめずに

答えを探し続けたのだ。


「人間の最大の弱点はあきらめることである。

最も確実に成功する方法は、

つねにもう1回挑戦することだ」


とは、エジソンのことば。


エジソンも、発明家として名を残してはいるが、

それは最後に成果を残したからであって、

その成果は数えきれないほどの

失敗の積み重ねの上にあるという。


この、木村さんの情熱的な取り組み方も

エジソンのそれと同じ。


ふつうの人であれば、とうの昔に諦めているところを、

「私はバカだから」諦めずに乗り越えてしまった

木村さん。


成功するまであきらめないということは、

成功するためのコツだといわれる。

しかし、本当に失敗を積み重ねながら

成功を目指して、信念を持って続けていくことは

簡単ではないだろう。

成功のコツだなどと言われても、

頭でそれを理解していることと、

実際に自分のこととして取り組んでみるのとでは

全然違うだろうと思う。


木村さんの本を読んでいると、

諦めずに続けることの大切さと、

想像を絶するような大変さが伝わってくる。

もう少し、明日に続けたいと思います。


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2009年3月28日 (土)

子どもが何の役に立つのか?

「子どもが何の役に立つのか?

今は子どもでも、やがて立派な大人に

なるかもしれないではありませんか!」

― ベンジャミン・フランクリン

脳に小さな質問をするとか、

小さな一歩を踏み出すとか、

先日からそんなことを書き続けているが、

一体それが何を生みだすというのだろうか?

私たちは、子どもから大人になるまでに

気の遠くなるような時間を過ごしてきた。

子どものころは遅々として進まないと感じていた、

多くの時間が、今では過ぎ去った。

しかし、その膨大な時間が、

今の私たちを作ってきたのだ。

何の役に立つのかもわからないほどの、

小さな一歩がある。

それは、子どもが大人になるほどの、

気の遠くなるような時間の積み重ねによって、

ようやく何事かを成し遂げるのかもしれない。

あなたや私の取り組んでいることは、

人からみれば

「いったいそれが何の役に立つのか?」

と思えるようなことかもしれない。

けれど、人が考えるのと同じように、

自分でも疑問を持ってしまってはいけない。

その小さな一歩が、

立派な大人になることを夢見て、

人の疑問には耳を傾けず、

淡々と続けていればいいのだ。

それが育つまでには時間がかかる。

それは、当然のことなのだ。

子どもを育てるように、その成長を楽しみにして

続けていけばいいのだ。

ある日気づいてみればそれは、

立派な大人に成長しているのかも、しれない。

     ***

関連記事:

●2009年3月23日 (月) 緊張感が、創造力を抑制する

●2009年3月24日 (火) 扁桃体のはたらき

●2009年3月25日 (水) 脳に小さな質問を

●2009年3月26日(木) 今日、1分間でできることは?

●2009年3月27日(金) 脳のプログラムをカスタマイズする

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2008年12月14日 (日)

自分のために、人を許す

●「脳にいいこと」だけをやりなさい!
 /マーシー・シャイモフ著・茂木健一郎訳
 三笠書房/2008年11月

【印象に残ったことば】

「そうか、君はまだ監獄にいるのだね」

【コメント】

本書は、考え方や感じ方の習慣を変えることで

行動パターンを変え、脳の神経回路も変えることが

可能であると説く。

考え方感じ方を変えるための7つの工程が

ていねいに説明され、実践するための手順も

紹介されている。

この本を読んで、今日からでも試せそうなことを

1つでも2つでも、ピックアップして実践してみたい。

さて、冒頭の印象に残ったことばだが、

これはチベット仏教の説話で紹介されていたもの。

監獄で看守たちからひどい拷問を受けていた

2人の僧が、監獄を出て数年後に交わした会話。

1人は、監獄を出て数年してもまだ、看守から受けた

拷問を忘れていなかった。

人の脳は、ポジティブなものより

ネガティブなものの方が、

強烈なインパクトを受けるという。

それは脳はを測定してわかっている

事実ということだ。

人に対する恨みなども、それだけ

強烈なインパクトがあり、

また、許すことも難しいのだろう。

しかし、その恨みや怒りにとらわれている間は、

自分のこころが自由になれない。

とにかくそのことにすべての意識が、

集中してしまうのだ。

私は自分のことを思い返してみても、

そこまで強烈に人を恨んだ記憶がないし、

人に対して感じる怒りも一時的にはあれど、

根に持つようなことはない。

しかし、ネガティブな思考が脳に強烈な

インパクトを与え、こころの自由をも奪う

ということは、覚えておきたいものだ。

人を許すということは、

相手が悪くなかったことにするのではなく、

自分のこころを自由にするために

行うことなのだ。

マイナスなことに心や体や時間を

奪われないように、こころがけたい。

【本文より引用】

2人の僧が、監獄を出て数年後に初めて会いました。

監獄では看守たちからひどい拷問を受けた2人です。

「彼らを許したかい?」

一方の僧が聞きました。

「許すものか!絶対に許さない!」

もう一方の僧が答えました。

「そうか、君はまだ監獄にいるのだね」

(以上、引用)

職場で一緒に仕事をしているHさん(女性)が、

ちょうど本書を読んでいると聞いた。

そう言えば私も、買ったままほったらかしに

なっていたことを思い出し、ついでに読むことに。

今日とりあげたこと以外でも、

たくさんの気づきや学びを得た。

できるところから早速、実践してみたいと思う。

ほったらかしの本を読むきっかけをくれた

Hさん、ありがとう。

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2008年12月13日 (土)

こんな愉快なことはない

●ぼくを探しに/シルヴァスタイン作・倉橋由美子訳
 講談社/1977年4月

【印象に残ったことば】

なにしろぼくの体はかけていて

あんまり早くはころがれない

それで立ち止まっては

みみずとお話する

この花はいい香り

かぶとむしを追いこしたり

かぶとむしに

追いこされたり

こんな愉快なことはない

【コメント】

とてもシンプルなイラストで描かれた、

大人向けの絵本だ。

「まんまる」が裂けて口になっているような

キャラクター(パックマンみたいなヤツ)が、主人公。

彼が、自分探しの旅に出る話だ。

初版が1977年なので、

ご存じの方も多いだろう。

妻と出会った年のクリスマス。

彼女からのプレゼントで、この絵本をもらった。

妻は自分でも持っていて、

良い本だからと、私にプレゼントしてくれた。

この絵本を読めば、誰もが考えるだろうが、

私もやはり考えたことがある。

自分にふさわしい生き方についてだ。

ビジネスで成功することや、大きな経済力を

持つことが、必ず幸せなわけではない。

何かを成し遂げるためには、

犠牲にしなければならない、こともある。

何を幸せと感じるか。

その価値観は、人によって違う。

そんなことを考えた。

そして、仕事をもっと頑張ろうと決意したとき、

がむしゃらに勉強しても、

なかなか結果が出せずに苦しんだとき、

この話を思い出すこともあった。

そして、そのたびに、自分にとっては

何が幸せなのか、答えを出そうとした。

いま、また何年振りかで、読み返してみた。

いまならこう言える。

みみずとお話すること、

花の香りをかぐこと、

ちょうにとまってもらうこと、

ゆっくりころがりながら、歌うこと。

これらを味わいながら行こう。

こんな愉快なことは、ないと。

20081213_2_2

今日、公園のコースをランニングし、

いつものように木々の間の道を、

落ち葉を踏みながら歩いた。

歩いていると、この本にあった

「こんな愉快なことはない」

というフレーズがよみがえってきた。

落ち葉をサクッ、サクッと音を鳴らして

踏みながら歩く。

木の肌に触れる。

色鮮やかな葉っぱの色を楽しむ。

これらがとても「愉快なこと」に思えた。

豊かな心をもって、いろんなものに触れ、

味わい、楽しんで生きていきたい。

そう思っているのが、いまの私。

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2008年11月22日 (土)

ガンガンに踊りまくらせたのがバブル

●石油が上がれば、オケ屋が儲かる!/浅井隆著
 第二海援隊/2008年9月

【印象に残ったことば】

本当は元気がないのに、

麻薬を打ったり酒を飲ましたりして
無理やりテンションを上げさせ、

ガンガンに踊りまくらせたのがバブル

【コメント】

浅井隆さんの著書といえば、私には
大きな文字で親しみやすそうな本を
書いているという印象だった。

書店に並べられているのを手にとって
パラパラめくる程度のことはしたかも
しれないが、興味を持って読んだことは
これまでなかった。

たしかに、本書も、経済に詳しくない人でも
わかりやすいようなタッチで書かれている。

ある意味、入門書とも言える。

しかし、わかりやすいだけではなくて、
この本1冊でも、とても勉強になると感じた。

冒頭に取り上げた「印象に残ったことば」は、
とても納得できた。

私自身、80年代後半のバブル期をこのように
とらえたことはなかったのだが、このように
言われてみると、感覚としてはよく理解できる。

また、日本経済のバブルについて言及したこのことばは、
企業の経営についても、個人の生き方についても同じ
ようにあてはめて考えることができる。

企業にとっては、市場の売れ筋だけに着目して、
売れそうな商品を効率よく開発することで、てっとり早く
売上を上げようとすること。

これでは、売れ筋商品の市場が飽和状態になるだけで、
消費者の潜在需要を引き出すことはできず、やがて
限界がやってくる。

企業にとってのバブルとは、こんなところだろうか?

ハウツーものの書籍などで、いまの仕事に必要な
技術や知識を簡単に得ようとする。

そんな傾向は、書店での売れ筋書籍を見ていても
よくわかる。

IT関連の書籍でも、システム設計に必要な「考え方」や
マネジメントの本質である「人間関係」を取り扱った
ようなものよりも、特定製品やプログラミング言語などに
フォーカスしたものがよく売れる。

本質を学ぶための勉強は時間がかかるのだ。

しかし、薄っぺらな表面的な知識をいくらたくさん
勉強しても、本当の成長を得られる勉強にはならない。

技術の変遷に合わせて、いつまでも追い続けなければ
いけなくなる。

そのような、トレンドを追いかけるだけの勉強だけを
続けていると、苦労したわりには何も成長していない
自分に気づいて、呆然としてしまう日がくるかもしれない。

それがあるいは、「バブルがはじけた日」と考えられる
のではないだろうか。

【本文より引用】

私は80年代に日本で起きたバブルを
こう見ています。

本当は元気がないのに、麻薬を打ったり
酒を飲ませたりして無理やりテンションを上げさせ、
ガンガンに踊りまくらせたのがバブルであると。

本当の意味での成長ではありません。

本当の成長は1970年代までです。

(以上、引用)

日本経済がバブルに踊らされるかのように、
即効性のある技術・知識だけを追いかけるのは
やめよう。

すぐに成果は出ないかも知れないけれど、
コツコツと積み上げることで、やがては
人間的にも成長していけるような、そんな
勉強を続けていくこと。

それが本当の勉強だ。

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2008年10月 5日 (日)

生きるための地図を持って生まれてくる人などいない

●強く、生きる。/渡邉美樹著
 サンマーク出版/2008年6月

【印象に残ったことば】

生きるための地図を持って生まれてくる人など
この世に一人もいません。

【コメント】

このことばには、とても深く納得できた。

「言われてみれば、そうだなあ」という感じ。


私自身、若いころは自分のなすべきことがわからずにいた。
正確には、今でもわかっているとは言えない。

しかし、今はそれが迷いにはなっていない。


今、目の前に見えていることをまずは
全力でやり遂げることだ。

それが好きか嫌いか、ではない。
自分に向いているかどうか、でもないのだ。

それはともかくとして。
自分に与えられた仕事が、目の前にはある。

そこから目を反らして、本当に自分の進むべき道を
探すのではない。
それをしても、自分の進むべき道は見つからない。


与えられた仕事に全力で取り組むことで、自分が見えてくる。
自分のなすべきことが見えてくる。

進むべき道というのは、そうやって切り拓いていく。
そうやって、自分をつくるのだ。


昔、迷いを持っていたころの私よりも、
今の私は「確信」を持って生きていると思う。

迷っていたとき、いろんな本を読んで、
目の前のことに全力で取り組むことを学んだ。

それによってしか自分の道を見つけられないことを
学んだのだ。


渡邉美樹さんのこのことばは、そうやって確信を得てきた
自分の考えを補強してくれるような、力強いメッセージだ。

【本文より引用】

好きな仕事が見つからない、
人生に打ち込むものがない。

なぜ働かなくてはいけないのだろう、
どう生きたらいいのだろう。


しかし、生きるための地図を持って生まれてくる人など
この世に一人もいません。

誰にとっても、道というのはともかく
歩いていく先にようやく見えてくるものです。


進むべき道が見つからないから歩き出せないというのは、

私に言わせれば、迷う順番が逆なのです。

だから、それが気が進まない仕事でも、
何も考えず、死ぬ気で三年やってみなさいと
私はアドバイスしたい。

いま目の前にあるものに、わき目もふらず、
必死懸命に体当たりで取り組んでみなさい。


そうすれば必ず、何かつかめるものがあります。

ただ迷っていただけのときにはけっして見えなかった
新しい景色を目にすることができるはずです。

(以上、引用)

渡邉美樹さんの著書は、昔から結構好きでよく読んでいる。

この本は今までの著書と比較しても、特に強い思いを
込められた本だと感じる。

ご本人も、あとがきでそのように書かれている。


渡邉美樹さんの著書は、私の心がどれだけ元気かを測る
バロメータ的な存在でもある。

著書からのメッセージを読み返したときに、

モチベーションが上がる、
力が湧いてくる、
深く納得できる。

そんなときは、私の心は元気なのだと感じる。


逆に、読み返すのが億劫になることもある。

そんなときは、かなり心が疲れているのかもしれない。

渡邉美樹さんの生き方は、とてもストイックに感じる
ところが多い。

それを読んで、とても自分にはマネできないな。。

と感じてしまうときは、相当疲れている。
そんなときはあるいは、心を病んでいたかもしれない。


今は、この本を読んで、

「少しでもこんな心境に近づきたい」

と思っている。


生き方を学びたいと考えている。


この『強く、生きる。』は私にとって、
何度も読み返して、そのたびに気づきを得、
元気をもらいたい1冊となった。

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2008年10月 4日 (土)

地道に英検四級の合格をめざせばよい

●仕事は「日曜の夜」から始めなさい!/久恒啓一著
 廣済堂/2008年7月

【印象に残ったことば】

もし同僚が英検一級に合格し、
TOEICで900点を取ったとしても、

あなたはコツコツ、
地道に英検四級の合格をめざせばよい。


【コメント】

最近の私が、とても好むタイプのメッセージだ。

ジワーっと心に沁みわたるようだ。


20代のころはあまり気になったことがなかったのだが、
最近、このような「コツコツ系」のメッセージに
とても共感を持つようになった。


35歳も過ぎてからだろうか。

何かを続けることの大切さ、得られる力の大きさ、

あるいは、人と比べることの無意味さ。

そういったことに、気づくようになってきた。

これも、私という人間が、少しは成長したと
いうことだろうか?


しかし、人と比べないというのは、
本当に難しいとも感じる。

頭では意味がないとわかっていても、
無意識のうちにやってしまっているからだ。


たとえば新聞や雑誌で、ビジネスパーソンの
平均年収や、賞与の支給額などが取り上げられていると、
いつのまにか、自分のそれと比較している自分に気づく。

一緒に仕事をしている人の優秀なところが目につくと、

「自分には、あのようにできないな。。」

と感じてしまう。


そんなことよりも、昨日の自分を少しでも超えることを
考える方が大切なのだ。

それは、わかっているつもりなのだが。。

心をコントロールすることは、なかなか難しいけれど、

今日もまた、昨日の自分を超えて、
「自己記録」をめざしていきたいと思う。

【本文より引用】

もし同僚が英検一級に合格し、
TOEICで900点を取ったとしても、

あなたはコツコツ、
地道に英検四級の合格をめざせばよい。


受験会場に中学生が大勢いても
意識する必要などない。


あなたは、
過去のあなたよりできるようになることを
めざしているからだ。


それで、勉強して合格すれば、
大いに喜べばいいし、
実際、うれしいはずだ。

なぜなら、
あなたの英語力は
過去のあなたより確実に
アップしたからだ。


人は人、我は我。

他人から刺激を受けることも大切だが、

過去の自分よりも成長することは
もっと大切だ。

他人ではなく、
過去の自分と比べることで、
人生は開けてくる。


(以上、引用)

人と競争することでモチベーションを上げる人は
いるだろうが、私はそういうタイプではないと思う。


だから、過去の自分より、少しでも成長することは
私にとって励みになる。

それなら自分にもできるのではないか、と思える。


今日もまた、少しだけ成長しよう。

その思いが、ものごとを継続するための
エネルギーになっていくのだろう。

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2008年9月23日 (火)

効率は高まるが、ほかのなにかが失われる

●ゆとりの法則/トム・デマルコ著(伊豆原弓訳)
  日経BP社/2001年

【印象に残ったことば】

効率は高まるが、ほかのなにかが失われる。
空きスペースがなければ、タイルを動かすことが
まったくできなくなってしまう。

このレイアウトは最適な状態に見えるが、
そのうちだめだとわかっても、
もう変える方法はない。

【コメント】

IT業界ではカリスマ的な存在である、トム・デマルコ氏による
2001年の著書。

技術的なノウハウや考え方を書いたものもあるが、最近では
ビジネスパーソンのヤル気を高める方法や、本書のように、
組織が変わっていくためにはゆとりが必要と主張したものなど、
労働環境の問題について警鐘を鳴らしている内容のものが多い。


本書では、オープニングからいきなり、数字を書いたタイルを
並べるパズルの話が登場する。

究極の効率化を達成してしまうと、そこから変化することが
できなくなってしまうということを、わかりやすい例えで
示したものだ。


これをやってしまったら最後、もう変化できない。


考えてみれば、当たり前のことだ。

しかし、われわれは、その当たり前のことになかなか思い至らず、
ぎりぎりまで改良し、効率を高める努力をしてしまう。。


この本を読んだのはもう8年も前のことで、
その当時はあまり何も感じなかった。


最近、ふと思い出して読み返してみた。


そこで、冒頭のパズルのたとえを見て、改めて考えさせられた。


効率と、変化。

今の時代、効率も求められるが、
変化も求められる。

効率を追求しすぎると、変化できなくなる。
変化するためには「ゆとり」が必要なのだ。

「ゆとり」を持つためには、効率重視だけではダメだ。

両者のバランスを保つのは、難しい。

【本文より引用】

むかし、まだ自由になる時間があったころ、
ちょっとしたパズルゲームで遊んだことがないだろうか。

このゲームの目的は、数字の書かれたタイルを
うまくあいている場所へ動かし、順番どおりにならべることだ。


このタイルを順番に並べるのは、そんなに簡単ではない。

このままでも十分に難しい。

これを次のように変えてみる。
あえて「改良」と言おう。

※本書では3×3の正方形に、1〜9の9枚のタイルが
 びっしり敷き詰められたイラストが示さている。


ムダなスペースを使って効率が高まったことに注目!


もとはタイルが8個と空きスペースが1個だったが、
これでタイルが9個、空きスペースはなくなった。

ムダなスペースがなくなり、全区画の利用率が100%
になったのだから、このレイアウトのおかげで効率は
11.1%高まったことになる。


効率は高まるが、ほかの何かが失われる。

空きスペースがなければ、タイルを動かすことが
まったくできなくなってしまう。

この空きスペースが、「ゆとり」である。

変化を実現するために必要な自由度のことだ。


(以上、引用)

今、いかに時間効率を高めるか、効率よく勉強するか、
などに注目が集まっている。

そのようなテーマを扱った本がたくさん出版されるし、
私も興味を持ってよく読んでいる。

一方で、ムダな時間が人生を豊かにする、ムダな勉強も必要だ、
という主張もある。


どちらかが良くて、どちらかが悪い、ということではない。

効率を追求したい場面もあれば、ムダを楽しみたい時もある。


いかに使い分けるか。

効率一辺倒になって、心の豊かさが失われていないだろうか?
自分を変えていくゆとりをなくしていないだろうか?


私自身、問いかけていきたいと思う。

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2008年9月21日 (日)

「My pleasure」は私の得意技です


●「超一流」の勉強法/中谷彰宏著 ファーストプレス/2007年


【印象に残ったことば】

 「My pleasure」は私の得意技です。

印象に残ったというよりは、ちょっと面白かった。

このことばだけではなく、これが登場する本文自体、
とても共感しながら読みすすめた。

英語を勉強していると、普段の生活の中でさりげなく、
生きた形でアウトプットしたい、という気持ちが出てくる。


何とかしてアウトプットのチャンスをモノにしよう
という著者の気持ちがとてもよく表れていて、共感を持てた。


冒頭のフレーズは、その中の「決めことば」だ。

(以下、本文より引用)


学生時代、外国の人に山手線で、降りる駅を聞かれました。

ブロークンイングリッシュで教えてあげたら、
「Thank you」と言われました。

私は「ここだ」と思いました。

実は、どこかで「My pleasure」を使える場はないかと
狙っていたのです。

最初、「Excuse me」とやってきました。

そこであせって「My pleasure」を使うわけにいきません。

最後に「Thank you」と言われた時に、
ガッツポーズで「My pleasure」と言ったのです。


1つのことを覚えたら、あとはそれを使うシチュエーションで
話すだけです。

突然言われて思い出せないときが、一番ショックが大きいです。

「You are welcome」と答えているのは子供です。

大人は「My pleasure」です。


これをキッカケに、もっと使える単語はないかと
探し始めます。

ここで初めて使える英語になるのです。

「My pleasure」は私の得意技です。


(以上、引用)


中谷彰宏さんの著書は、とても読みやすい。
エッセンスだけが抽出されていて、ムダがないのだ。

中谷さんの本は私の中で「格言」のような位置づけになっている。
ムダがそぎ落とされているので、何度も味わっている。


他にも印象に残っているフレーズがあるので、
機会があれば(思い出したら)紹介していきたい。

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