カテゴリー「人生論」の16件の記事

2009年10月18日 (日)

事実のとらえかた

◆第437号 (2009/10/17)◆

事実などない。あるのは解釈のみだ。

とは、ニーチェのことばだったか。

過去は変えられないとか、

変えられるのは未来だけだとか、

よく言うけれど、

変えられないとか変えられるとか

言っているのは、

実際に起こった「事実」のこと。

事実は変わらないだろうけれど、

実は、事実それ自体にはさほど意味がない。

意味があるとすれば、

私たち自身がその事実をどう解釈するか。

そもそも過去と未来とかいうものは

単に時間の経過を表す概念であり、

過去について振り返ることも、

未来に思いを馳せることも、

「現在の私」が感じていることにすぎない。

私たちには常に「現在」しかない。

過去に失敗したことや、

痛みを背負ったことも、

それを感じている「現在」なのだ。

将来を不安に思うことも、

明日の旅行を楽しみにすることも、

それを感じているのは「現在」だ。

考える対象が過去のことであろうと

未来のことであろうと、

そのことから引き出される感情は

いま現在のもの。

そして、その感情は

私たちの勝手な解釈によって

作り上げられているものだ。

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2009年9月14日 (月)

態度価値

◆第403号◆

フランクルが分類したという、

人生で実現できる価値が3つ。

創造価値、体験価値、態度価値の

3つだという。

創造価値とは、何かを創造することによって

得られる価値のこと。

体験価値は、体験によって感動や喜びを

得るという価値。

態度価値というのは、

ことばを聞いただけではピンとこないが、

昨日の記事で書いたようなことで、

起こっている事実に対するとらえ方

である。

自分に与えられた状況に対して、

どのように反応するか。

どのような態度をとるか。

それによって実現される価値のことを

フランクルは態度価値と呼んでいる。

フランクルはナチスの強制収容所に送還され、

活動の自由を奪われる経験をした人。

そんな、自由のない境遇の中でも、

どのような態度をとるかによって、

価値ある生き方ができるのだということを

体現した。

自分の身に起きた現実を

どのような態度でとらえるか。

幸せだととらえることが

幸せになることであり、

豊かだととらえることが

豊かになることである。

いつかは幸せに・・・

というものではなく、

今日からでもなれるというものである。

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2009年9月12日 (土)

幸せ感を育てる休日

◆第402号◆

小学2年生の息子は9月生まれ。

次の休みにはプレゼントに

新しい自転車を買ってもらえると、

土曜日がくるのを随分と楽しみに、

指折り待っていたようだ。

そして、その土曜日。

今日は念願の自転車を買いに、

長男と2人で出かけた。

新しい自転車に乗って

はしゃぐ息子を見ていると、

私まで嬉しくなってくる。

人が喜ぶ姿をみるのは、

幸せなものだ。

     ***

事実はひとつ、感じ方はふたつ。

などということがある。

起こっている事実は同じであっても、

そのとらえ方によって

幸せを感じたり、不幸せを感じたりする。

感じ方はふたつ、ということに

そんな意味が含まれている。

いつか幸せになりたいだとか、

豊かになりたいだとか人は言う。

しかし、最も大切なことは、

いま生きている中で

幸せだとか、豊かさを感じていくこと。

それらを感じる力を身につけることが、

幸せになることであり、

豊かになるということである。

どんなに美味しいものを食べても、

それをたっぷりと味わえる

豊かさを持った人と、

不満を漏らす人がいる。

シンフォニーのいい演奏を聴いて、

純粋に幸せを感じる人もいれば、

演奏の細かいところに文句をつける

ひともいる。

どちらが幸せか。

いま生きていて、日々起こることから、

幸せを感じるこころを育てる。

それをできることが、

幸せな生き方なのだろう。

休日は、たっぷり時間を使って、

そんな豊かなこころを

育てるのがいい。

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2009年8月23日 (日)

生き方のモデルを見つける

◆第381号◆

私が本を読むことの目的のひとつに、

生き方について学ぶ、ということがある。

たとえば、中国の古典的な書物や、

伝記などを読むと、

人が生きていくことのモデルに

できるようなことが書かれていたりする。

私が普段、書店へ足を運んだときに

興味を持つジャンルのひとつに

伝記がある。

偉大な人物の生き方を、

本を読んで知ることによって、

私たちは、自分のモデルになるような

生き方を学ぶことができる。

読書によって多くの人の生きざまに

触れていれば、

自分に適した生き方、

こんな生き方をしてみたいと

こころから思えるような生き方と

出会える可能性が高くなる。

先日から取り上げている、

木村秋則さんの壮絶な半生も、

なかなかマネのできることではないだろうが、

私にとってとても共感できる生き方ではある。

本を読んで、いろんな人の生き方に接しつつ、

自分にとって納得できる生き方とはどんなものか、

考えていきたい。

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2009年8月16日 (日)

こころの中をガラクタで満たさない

◆第375号◆

昨日今日と、ひとり旅をしてきた。

箱根・芦ノ湖へ男ひとり旅。

おんなひとり旅の方が似合いそうな

シチュエーションではあるが。。

箱根は、わずか3か月ぶりの再訪。

前回は会社のイベントで5月に

湯本温泉へ。

今回は芦ノ湖畔まで登った。

今日は箱根旧街道の石畳道を歩き、

3時間近くかけて芦ノ湖畔から箱根湯本まで

山くだり。

自分と向き合うには短い時間だったが、

こんな時間もときには必要なのだと思う。

さて、昨日につづき、

自分のこころとの向き合いかたについて

書いてみたいと思う。

静かな場所で、ひとり自分の時間を確保する。

そして、その時間で自分のこころと向き合ってみる。

こころの声に耳を澄ましてみるのだ。

これくらいなら、休日にひとり家にいても

できると思うかもしれない。

しかし、いつもと同じシチュエーションに

身を置いていると、

私の場合、やらないといけない用事が

気になったり、

仕事のことを考えてしまったり、

ただただ惰性で過ごしてしまうこともあれば、

やらなければいけないと思っていることを

計画どおり進めようとしてしまったりもする。

つまり、普段気になっていることや、

思考回路に組み込まれていることなどに、

いつの間にかこころを奪われていたりする。

だから私の場合は、

「非日常的な空間に身を置く」

ということを、

意識的に実行することが重要なのだ。

だから、ひとり旅に出たり、

ひとりで山登りをしたり、

という行動を起こして、

いつもとは違った感覚を持とうとする。

何年も同じ部屋に住んでいると、

いつの間にか捨てられないガラクタが増えるように、

こころの中も、ずっとそのままにしていると、

いつの間にかガラクタが占有するようになる。

こころの中をガラクタで満たしてしまうと、

本来向き合うべき自分というものが、

なかなか見えてこなくなる。

こころが発している、悲鳴かもしれない

切実な声を、小さな小さな声を、

ガラクタたちに邪魔されて、うまく聴きとることが

できなくなってしまう。

そのようなことにならないためにも、

いつの間にか自分のこころを忙しくしていないか、

捨てても問題ないようなガラクタでこころを満たし、

しかも、そのガラクタの存在に

こころを痛めていたりしないか、

ときどきは振り返ってみる必要が

あるのではないだろうか。

自分の生き方を考えるために、

こころのキャパシティを充分に

空けておきたいものだ。

     ***

関連記事;

こころの声を聴く (2009/8/15)

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2009年8月15日 (土)

こころの声を聴く

◆第374号◆

普段、仕事で忙しくしていたりすると、

なかなか、こころにゆとりが持てない。

そして、

そんな日がしばらく続くと、

自分は心の中で一体どんなことを感じているのだろうか。

自分の価値観とか、どんな生き方をしたいとかいうことが、

わからなくなってくる。

自分の心の声が聞こえなくなってくるのだ。

本当の自分は何を求めているのかを、

忘れてしまうのだ。

だから、本当の自分を取り戻すためにも、

時にはひとり静かに過ごす時間をつくり、

こころの声をじっくり聞いてみたい。

しかし、いざ自分だけの静かな時間を取っても、

普段聞き慣れていない、自分のこころの中の声は

なかなか、聞こえてこない。

自分を忙しくしてばかりいると、

自分のこころの中から発せられる声が、

聞こえなくなってくる。

だから、自分を忙しくせず、こころにゆとりをもつ。

そんな時間を大切にしたいものだ。

私はこの休日、

ふらりとひとりで旅をしていたりする。

いまの時代、本当に静かな場所というのは

なかなか見つからないものだ。

だから、静かにこころの声を聴く機会というのもまた、

そうそうあるものではない。

このような時間は、意識的に確保していく

必要があるのだろう。

そういう意味では、

今の時代にあって、自分のこころと

しっかり対話できている人というのは、

あまりいないのかもしれない。

特に、都会の喧噪にまぎれて

生活している人たちにとっては。。

自分を忙しくせずに、

リラックスしたゆとりのある、

まとまった時間を確保する。

それができたときに、

私たちは初めて自分自身のこころの声と、

向き合えるのかもしれない。

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生き方を学ぶ

◆第373号◆

何のために勉強するのか?

そう聞かれたら、何と答えるか。

「生き方を学ぶため」

私はこう答えると思う。

どのようなことを勉強するにしても、

その先には何かを「今よりも良くしたい」

という思いがあるはずだ。

それは、とりもなおさず、

自分の生き方を少しでも良くする

ということにつながっている。

過ごす時間はすべて、自分の人生なのだ。

「生き方を学ぶ」とは、

「自分の軸」をつくっていくこと。

「自分の軸」とはつまり、

どんな人生を歩みたいかを決めていく

ということ。

それを、少しでも、

今より少しでも、良くしたい。

より豊かな生き方にしたい。

そのために勉強する。

そう考えていると、

迷うことが少なくなる。

振り回されることがなくなる。

逆に言えば、

何かに振り回されたり、

何かを決められずに迷ったりするのは、

自分の中に軸ができていないから。

そんな状況にある人は、

迷いや悩みをふっ切るためにも、

思い切り勉強しよう。

私も何かに迷うことがあったら、

迷わずそうしようと思う。

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2009年7月21日 (火)

わざわざ「不幸の引き寄せ」をしない

人は、愚痴を言うのが好きな生き物だと

よく言われる。

愚痴というものは、

他人を攻撃するために使われる。

つまり、ある意味、

自分を守るための方便だと

言えるだろうか。

このことは、

「自己責任」ということとは

対極に位置するのではないかと思う。

自分自身の責任を逃れるために、

他人を攻撃する。

そんな心のあり方が、

愚痴を言うことから、窺える。

しかし、それは

不幸を呼び寄せていることに

ほかならない。

それを言うことで、

自分の気持ちは多少なりとも

すっきりするのかもしれないが、

それをすることで、

自分の心に幸せな気分が巡ってくることは、

ないのだ。

それどころか、

自分自身の心の中に、

さらなる不満が蓄積されていくことになる。

さながら自分自身の人生に、

さらなる不幸を呼び寄せるかのように。

不幸になるのか、幸せになるのか。

豊かな心を持つか、貧しい心を持つか。

すべては、自分自身の心のあり方しだいだ。

心のあり方しだいで、

幸せを感じることも、不幸せを感じることも、

できてしまう。

不幸を引き寄せないためには、

心の中の、豊さの感覚を、磨くことである。

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2009年4月27日 (月)

人生という名の学校

先日、「仕事のストレスは仕事でしか解決できない」

というテーマで記事を書いた。

今日は、似たような内容だが少し違う切り口で

書いてみようと思う。

読んでいた本で出会った言葉を、

少し引用してみたい。

     ***

「あなたは人生という名の学校に入っています。

この学校には休みがなく、生涯にわたって毎日

なんらかの授業を受けつづけなければなりません。

     (中略)

どの授業にも教訓があり、あなたはそれを

謙虚な姿勢で学ぶ必要があります。

それを拒みつづける限り、その授業は

形式を変えて何度もおこなわれます。

いわば人生の『補習授業』です。」

―『人生が変わる習慣』(アンソニー・バーグランド著)
 /ディスカヴァー社/2007年11月

     ***

仕事や日常生活では、さまざまな問題が起こり、

壁にぶつかることになる。

それに対してどのように反応するかが、

問われているのだ。

一時的ではあるが、逃げるという反応も

できるだろう。逃げたい気持ちを抑え、

不安や恐怖を感じながら、正面突破を

試みることもできる。

ただし、行動を選択することはできても、

結果をコントロールすることは、

できないのだ。

逃げるという行動を選択すると、

おなじ問題がまた降りかかってくることになる。

逃げ続ける限り、同じ壁はまたやってくる。

なぜならそれは、あなたにとって乗り越えるべき

壁だからだ。

そして、以前のあなたよりも成長することなくして、

その壁は乗り越えることができない。

その壁を乗り越えられるだけの成長を

遂げないと、その壁は再びやってくる。

逃げ切ったつもりでも、どこかでまた

ぶつかることになるのである。

逆に、その壁を乗り越えられるだけの成長を

遂げたとき、その壁はもうあなたにとって

壁ではなくなっている。

あなたは問題にぶつかったときに、

どのような反応をしているだろうか。

無意識のうちに選択している行動を、

意識してみてはいかがだろうか。

いつもとっている選択肢を変えることが、

成長するほうの道を選ぶことに

つながるのかもしれない。

     ***

関連記事:

●2009年4月24日(金) 問題と向き合う

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2009年4月 8日 (水)

心にゆとりを

昨日が深夜作業になったため、本日は休み。

久し振りに、疲れた体を休めることができた。

休めたのは体だけではなく、心もだ。

一時的なこととは言え、やはり仕事でバタバタ

していると、心にゆとりがなくなっているものだ。

こうして、バタバタとした修羅場から距離を置いてみて

初めて気づく。

別に、精神的に追い詰められた状態でもないが、

それでもこの数日は、目の前にある仕事を

片付けることにしか、意識を向けなくなっている。

そんな自分がいた。

今の状況は、あくまで一時的なものだが、

このような仕事のやり方がもし、

常態化していたとしたら、どうだろう?

周囲を見渡すこともなく、何の指針も持たず、

前も向かずに人生を歩いていくようなものだ。

目の前の仕事を片付けることは大事だけれど、

将来のことや、生き方について考えてみたり、

いろんな勉強をしてみたり。

自分の将来のために、今の時間を少し

投資してみる。そんなことも実は大切なこと。

その積み重ねが、人生を豊かなものに

していくのだと思う。

バタバタとした仕事の仕方が常態化してしまうと、

そんな大切なことに時間を使う、心を使う

ということができなくなる。

「忙」という字は「心を亡くす」と書くが、

極端な話、人生そのものが、

まさに心のない状態になる。

前を見る余裕すらなく、人生を歩んでいくことになる。

そんなことに気づかずにいたとしたら。

怖いことだと、改めて感じている。

心のゆとりを取り戻し、またしっかり前を向いて

歩いていきたいものだ。

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2009年2月25日 (水)

自分と向き合う時間

風邪は本格化せずにすんでいるようだ。

のどに少し痛みがあり、体もダルイが、

熱は上がっていない。

少しペースを落としていこう。

こうして、風邪で休んだ日は、

思いがけず”自分の時間”をプレゼントされた感じ。

もちろん、体は辛い。

一日の大半を眠って過ごすのだが、

意識のある間は常に、自分の内面と向き合える。

こうした時間が実は、人生においては

大切なのかもしれない。

20090225_

     ***

自分と対話する時間をもって生きている人は、

たくさんの仕事をこなす毎日であっても、

心理的に追い立てられていません。

人生という道程を着実に歩いて

進んでいるような安定感があります。

どんなに長い道程であっても

息切れせずにすすんでいけそうな感じです。

― 『心眼力』(野口嘉則著/サンマーク出版)より

     ***

精神的に成長するためにも、

心を豊かに生きるためにも、

自分と向き合い、心の声に耳を傾け、

感情を味わう時間を大切にしていきたい。

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2009年2月 1日 (日)

休日。こころを豊かにする習慣

今日は、小学校1年生の長男とともに、

会社のフットサルサークルに参加。

ゲームに参加しているときは、本当に

目の前に展開されているゲームのことしか

頭にない。

他のことが頭をよぎることもなく、

集中しているのだ。

先日も同じことを書いたが、

この、没頭できる時間というのが、

リフレッシュにはとても効果があるのでは

と感じている。

普段、頭の中を占めている多くの思考が、

完全に追い出されている、

この瞬間が、とても心地よい。

     ***

佐藤伝さんの『休日手帳』という本を読んでいて、

私自身、どんな休日の過ごしかたをしているか

振り返ってみようと思った。

この『休日手帳』という本は、年間52週ある

休日にあわせて、休日の過ごし方について

52のアイデアを紹介した本だ。

個別に参考になるアイデアもいくつかあるが、

要は、心を豊かにするための取組を、

習慣づけていこう。

ねらいは、そこにあるのだ。

私の休日は、

目に見える個別の取組としては、

公園コースのランニングをしたり、

本を読んだり、ブログ記事を書いたり。

基本的には、平日やっていることと

変わりなくやっている。

実施する時間帯が多少変わるのと、

習慣的にやっている以外のことが、

平日とは違うくらいだ。

日ごろ、人は仕事をスムーズに進めるために、

就業時間中の取組をいかに質の高いものに

していくかに注力する。

そのために有効な習慣を意識する。

そのことにより、量を積み重ね、失敗を経験し、

フィードバックを得、さらに積み重ねる。

そうしてビジネスパーソンは、

少しずつ、仕事を自分のモノにしていく。

それは、ビジネスで成功することに

つながる取り組みかもしれない。

でも、人生をより良く生きることを考えるとき、

それだけで必要充分とは、

言えないかもしれない。

こころの、もっと別の部分を、

磨くこともまた必要なのかもしれない。

人生の持ち時間を、より幸せに過ごす。

そのためにみんな、苦しみながらも

あらゆる努力を惜しまずにするのではないか。

仕事の能力を磨くことによっても、もちろん、

人間を成長させることはできるだろう。

こころも、磨くことができるだろう。

しかし、こころ豊かに生きていくためには、

仕事能力だけを鍛えるのではなく、

もっと、過ごしている時間そのものを

味わうことが、必要だ。

ちょっとした、日ごろ意識していないようなことに、

目を向けてみるだけでも、

味わい深い、豊かな時間を過ごせることは、ある。

何か具体的な、目に見えることに

取り組むのなら、

平日とはまた違った、

こころに栄養を送り込むようなことに

目を向けてみるのも、いいかもしれない。

また、自分の生き方を見つめてみるなど、

思考習慣を取り入れることも、考えられるだろう。

平日にはなかなかできないことに

時間を使ってみよう。

それをゆっくり噛みしめて、

味わってみよう。

習慣の力によってそれは、

より深い豊かな味わいを、

育むのかもしれない。

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2009年1月 9日 (金)

自分の価値観を知る

あなたの価値観とはどんなものだろうか。

価値観とは、どんなモノに、あるいはどんなコトに
自分自身が価値を認めているか、ということ。

どんなモノを、価値あるものと感じているだろうか。

どんなコトが価値あることと、認めているだろうか。

欲しいモノを手に入れること?

それともお金に心を奪われているだろうか?

人を愛することだろうか?

誰かに貢献することが価値あることだろうか?

心の充実を求めているのだろうか?

また、自らの力を最大限に生かし、何かを
実現することが自分の人生の価値と考えているだろうか?

自分の価値観に目を向けてみることは、
決してムダではない。

人は成長すると、価値観を変える。

価値観が変化すること。

それが、成長することだと、私は考えている。

価値観が高まることで、人の思考レベルは上がる。

そして、行動レベルもアップするのだ。

自分が価値を見出しているコトが変化するのだから、

それにともなう行動が変化するのは自然なこと。

あなたの行動は、何もないところから
生まれているわけではない。

あなた自身が、価値を感じていることが、
あなたの行動を産み出しているのだ。

この何年かの間に、あなたの持っている価値観は、

どれくらい変化しただろうか?

成長のバロメータとして、価値観の変化を

見つめてみてはいかがだろう。

     ***

東京では、年が明けて初めて、

雨の朝を迎えている。

静かに降る雨が、私は好きだ。

こんな日は自分自身と、

静かに向き合えるかもしれない。

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2009年1月 8日 (木)

心との対話

今年は前半が勝負どころ。

というのが、私の仕事の状況だ。

年末年始の休みはもう、遠い過去のような
そんな感覚になるような、年始早々の
スタートダッシュ。

しかし、どんなに忙しくなろうとも、

心は失わずにいきたい。

200901082

仕事や、日常に追われてしまうと、
自分の心と対話をする時間を取らなくなる。

心との対話がなくなると、心の声が
聞こえなくなる。

心の声が聞こえなくなると、自分らしい生き方を
見失うことになる。

忙しいと「心を亡くす」と言われるのは、
そういうことだろうか。

印象的なことばが、手元にある。

「心というのは、体のほかの筋肉と

とてもよく似ている。

使わなければ、衰える。」

心は、いつも鍛えて、手入れして、
自分でコントロールしておかないと
いけないのだろう。

自分でコントロールしないと、
逆に、自分自身が心に支配されてしまう。

それも、無意識のうちに。

心は、使わなければ衰えるといっても、
力がなくなるわけではなく、
その「質」が落ちてしまうのだろう。

質が落ちてもなお、心は人の思考や行動を
支配するだけの、強力なもの。

そして、その心の質にともなった、
思考の質、行動の質によって、
結果はもたらされる。

誰も、自ら悪い結果を望むことはないだろう。

しかし、心をコントロールしていないと、
結果的には心に支配された思考と、
その思考から導かれた行動によって、
望まない結果を得ることになる。

だから、どんなに忙しくても、心との対話は
欠かさぬようにしたいのだ。

いつも心を磨き、手入れして、

質の高い思考を生み出せるようにしたい。

質の高い思考から、望ましい行動を、

導き出したい。

そうして初めて、

自ら望む結果が、得られるのだろう。

最後にもうひとつ、印象的なことばを。

「自分の思考や人生を向上させる時間が

ないというのは、運転するのに忙しすぎて

ガソリンを入れているひまがない、

と言っているようなものだ。」

※いずれも、『心のカップを空にせよ!』
(ロビン・シャーマ著)/ダイヤモンド社
 からの引用

今日も、心の手綱を引き締めて!

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2008年12月 7日 (日)

思い出し笑い

中谷彰宏さんの本を読んでいたら、

「さわやかな笑いは、思い出し笑いです。」

という内容があった。

このフレーズだけ読むと、何が言いたいか

よくわからないが、要は

『計算された笑いではない』

ということだ。

何か悪だくみをしているときに、

「フッ・・・」

という笑いがあるが、

あれを「思い出し笑い」と呼ばないなら

純粋に、過去の面白かった出来事を

思い出して笑っているのだろうから、

計算された笑いではない。

誰かに気を使って笑う、「愛想笑い」でもない。

純粋にハッピーな気分なのだろう。

考えてみたら、思い出し笑いのネタがたくさん

あるということは、それだけ、楽しんだ過去を

持っているということになる。

いま思い出して笑っているその出来事が、

起こったその時は、あるいはそんな面白いと

感じていなかったかもしれない。

ひょっとしたら、その当時は悲惨だったのかも

しれない。

しかし、それを思い出して、いま笑っているなら

その過去は、「幸せな思い出」に変わっているのだ。

そう考えると、思い出し笑いができるというのは

幸せなことなのかもしれない。

あとから笑えるネタがたくさんあるというのは

それだけ豊かな人生を歩んできているのだ。

自分の悲惨だった過去を、思いきり笑い飛ばせる

というのは、それだけ人間的に成長した証しでも

あるだろう。

私は最近、何かを思い出して、思わず笑ってしまった

ことがあるだろうか?

たとえば、辛いことがあったとしても、

あとでそれをネタにして笑い飛ばすつもりで、

味わっていければと思う。

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2008年11月30日 (日)

不幸せになる考え方を避ける

今日は晴れていたが、少し風があって寒かった。

久し振りに、家族4人で近くの公園を散歩したのだが、
風があったので、あまりリラックスした散歩には
ならなかった。

いよいよ本格的に、冬へと入っていく。

今日はそんな寒さだったので、明るいうちから風呂に
入り、夕食は鍋が食べたくなったので、豆乳鍋という
ことにした。

夕食のとき、長男が鍋に指先を触れてやけどをした。

妻が鍋の置き方を修正するために、少し持ち上げた
のだが、それを手伝おうとしたのか、素手で鍋に指を
触れてしまったのだ。

水ぶくれにならないよう、しばらく氷で冷やしていたが、
だんだん痛さが増してくるのか、食事が終ると長男は
次第に機嫌が悪くなってきた。

初めのうちは、「そりゃ、痛いなあ、辛いね」とか
「早く痛いの、なくなればイイね」とか言って共感の
ことばをかけてやっていたが、だんだん自分の
不幸を強調するような言動が目立ってきた。

「痛いんだよ~、どうしたらいいんだよ~」

「痛くて寝られないかも。。」

「鍋をさわる前に言ってくれてたら。。」

挙句の果てには、下の娘(1歳)に八つ当たり。

最後にはメソメソ泣きながらの恨み節。。

「エエかげんに、せんかい!!」

いいか、よく聞け。

同じ痛い目にあっても、
「好きな歌でも歌って忘れよう!」といって
歌っているうちに、楽しい気分になって痛いのを
忘れる人もいる。

人のせいにばかりして、自分の不幸を強調して
同情してもらおうとする人もいる。

どっちが幸せで、どっちが不幸せか、
お前にはわかるか?

やけどしてしまったことは、確かに辛いことだろう。

お父ちゃんだって、昔は失敗していろんな怪我もしたし、
お前の痛みはよくわかるよ。

でも、いくら嘆いても、今すぐに痛みを治すことは
誰にもできないだろう?

父ちゃんや、母ちゃんのせいだ、悪いんだと
言いたいなら、それもいいだろう。

気の済むまで、そう言っていればいいだろう。

だけど、それでお前のやけどは、治るのか?

人のせいにすれば、誰かを恨めば、
お前には何か、いいことがあるのか?

さめざめと、声もたてずに泣き出す長男を、
胸の前に抱きかかえながら、ゆっくり静かに
言い聞かせる私。

幸せか、不幸せかは、キミの身に何が起こるかで
決まるものではないのだよ?

キミの身に起こったことを、キミ自身がどう捉えるかで
幸せにもなれるし、不幸せにもなるんだよ。

いちばん好きな歌は?

いやなことが起こったら、それを歌うんだって、
決めるのも、いいんじゃないかな?

いやなことが起きたといって、誰かのせいにしても、
何の解決にもならない。

自分を正当化することによって、かえって自分の成長を
妨げる要因になるかもしれないのだ。

「自己責任」の考え方を基本にすると、ものごとはうまく
回り出す。思考の習慣が、行動の習慣を変えるのだ。

つまり、不幸せになる思考習慣を変えることによって、
いままで不幸せを呼び込んでいた行動習慣が変わる。

習慣が変わると、心が変わっていくのだ。

私たちはいつも、それを心して生きていきたいものだ。

長男の気持ちは次第に落ち着いてきたようだが、
まだふっ切れない様子。

「そんなに痛いんだったら、お父ちゃんが忘れさせて
やろうか!?」

抱きかかえてそのまま布団へ連れて行き、
脇とお腹をたっぷりくすぐってやる。

痛さも忘れ、息子はドタバタしながら大笑い。

しばし、にぎやかに遊ぶ。
親子のふれあい。

疲れてきた息子はほどなく、

穏やかで、幸せそうな表情になって、

眠りについた。

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