今日は晴れていたが、少し風があって寒かった。
久し振りに、家族4人で近くの公園を散歩したのだが、
風があったので、あまりリラックスした散歩には
ならなかった。
いよいよ本格的に、冬へと入っていく。
今日はそんな寒さだったので、明るいうちから風呂に
入り、夕食は鍋が食べたくなったので、豆乳鍋という
ことにした。
夕食のとき、長男が鍋に指先を触れてやけどをした。
妻が鍋の置き方を修正するために、少し持ち上げた
のだが、それを手伝おうとしたのか、素手で鍋に指を
触れてしまったのだ。
水ぶくれにならないよう、しばらく氷で冷やしていたが、
だんだん痛さが増してくるのか、食事が終ると長男は
次第に機嫌が悪くなってきた。
初めのうちは、「そりゃ、痛いなあ、辛いね」とか
「早く痛いの、なくなればイイね」とか言って共感の
ことばをかけてやっていたが、だんだん自分の
不幸を強調するような言動が目立ってきた。
「痛いんだよ~、どうしたらいいんだよ~」
「痛くて寝られないかも。。」
「鍋をさわる前に言ってくれてたら。。」
挙句の果てには、下の娘(1歳)に八つ当たり。
最後にはメソメソ泣きながらの恨み節。。
「エエかげんに、せんかい!!」
いいか、よく聞け。
同じ痛い目にあっても、
「好きな歌でも歌って忘れよう!」といって
歌っているうちに、楽しい気分になって痛いのを
忘れる人もいる。
人のせいにばかりして、自分の不幸を強調して
同情してもらおうとする人もいる。
どっちが幸せで、どっちが不幸せか、
お前にはわかるか?
やけどしてしまったことは、確かに辛いことだろう。
お父ちゃんだって、昔は失敗していろんな怪我もしたし、
お前の痛みはよくわかるよ。
でも、いくら嘆いても、今すぐに痛みを治すことは
誰にもできないだろう?
父ちゃんや、母ちゃんのせいだ、悪いんだと
言いたいなら、それもいいだろう。
気の済むまで、そう言っていればいいだろう。
だけど、それでお前のやけどは、治るのか?
人のせいにすれば、誰かを恨めば、
お前には何か、いいことがあるのか?
さめざめと、声もたてずに泣き出す長男を、
胸の前に抱きかかえながら、ゆっくり静かに
言い聞かせる私。
幸せか、不幸せかは、キミの身に何が起こるかで
決まるものではないのだよ?
キミの身に起こったことを、キミ自身がどう捉えるかで
幸せにもなれるし、不幸せにもなるんだよ。
いちばん好きな歌は?
いやなことが起こったら、それを歌うんだって、
決めるのも、いいんじゃないかな?
いやなことが起きたといって、誰かのせいにしても、
何の解決にもならない。
自分を正当化することによって、かえって自分の成長を
妨げる要因になるかもしれないのだ。
「自己責任」の考え方を基本にすると、ものごとはうまく
回り出す。思考の習慣が、行動の習慣を変えるのだ。
つまり、不幸せになる思考習慣を変えることによって、
いままで不幸せを呼び込んでいた行動習慣が変わる。
習慣が変わると、心が変わっていくのだ。
私たちはいつも、それを心して生きていきたいものだ。
長男の気持ちは次第に落ち着いてきたようだが、
まだふっ切れない様子。
「そんなに痛いんだったら、お父ちゃんが忘れさせて
やろうか!?」
抱きかかえてそのまま布団へ連れて行き、
脇とお腹をたっぷりくすぐってやる。
痛さも忘れ、息子はドタバタしながら大笑い。
しばし、にぎやかに遊ぶ。
親子のふれあい。
疲れてきた息子はほどなく、
穏やかで、幸せそうな表情になって、
眠りについた。
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